地下鉄を降り、灼熱を回避するためなるべく地下道を歩いて、銀座の一等地にある「HERALBONY LABORATORY GINZA(ヘラルボニー・ラボラトリー・ギンザ)」を訪ねた。ヘラルボニーは障害のある作家の作品を様々な形で世に送り出している企業だ。作品群をデザイン性の高い服や小物にあしらい、時には著名なブランドとのコラボレーションなどで知名度を上げてきた。映像などヴィジュアル展開にも秀でていて、銀座のこのギャラリースペースもとても洗練されている。現代思想用語のような社名は、創業者の松田さん兄弟(双子)の4つ上の兄で、重度の知的障害を伴う自閉症のある翔太さんが口にする言葉から取った。
東京五輪・楽曲制作担当を辞任・・・小山田圭吾さんとの共創

障害のあるアーティストとモノづくりをしてきた「その」ヘラルボニーが、Corneliusすなわち「あの」小山田圭吾さんと音楽/映像作品を作った、というリリースが届いた。
お、と思った。行ってみよう、と。
4年前、小山田さんは過去に雑誌に掲載された「障害のある同級生をいじめたエピソード」が問題視され、東京オリンピック開会式の楽曲制作担当を辞任せざるを得なくなった。当時、私はその騒動をロンドン支局で見ていた。フリッパーズ世代としては複雑な心境だった。問題とされた雑誌のうち一冊は恐らく実家の段ボールのどこかに眠っている。
その後、一年の沈黙を経てCorneliusは公の場での活動を再開した。雑誌記事の内容と実際に行われた行為との間には大きな開きがあることを解き明かすルポも出版された(その中では「事実関係を取材することなく騒いだメディア」も批判されていた)が、小山田さんがこの一件をずっと背負っていただろうことは想像に難くない。
ヘラルボニーの松田崇弥さんが「その」小山田さんと一緒に作品を作れないだろうか、と、思いついたのは3年前だそうだ。当時、ヘラルボニーは、障害のある作家たちが日常的に繰り返し発する「声」や立てる「音」をサンプリングして曲を作る「ROUTINE RECORDS」というプロジェクト/レーベルを発表し、手ごたえを感じていた。その第二弾をCorneliusと共に創れないか、と考えたのだという。社内でも賛否両論があったそうだが、去年2月になって、松田さんは小山田さんに共創を持ち掛ける手紙を出した。SNSに公開されている松田さん直筆の手紙には「きっと素晴らしい音楽になると確信」していることと共に、「”炎上”という社会的制裁を受けると、誰しもが戻って来られないのではないか?と感じるこの社会にも大きな違和感があります」という「一発アウト社会」への問題意識も綴られていた。