被爆ピアノでバッハの「主よ、人の望みの喜びよ」を演奏した女性は次のように語りました。

被爆ピアノで演奏した 茶木紀依子さん
「自分がこのピアノを弾かせていただいたという嬉しさと、平和を願う人が増えたらいいなと思いを込めて弾きました」

子ども
「戦争をしても何も意味がないのに、どうして戦争をするんかなって思って…、戦争はしてほしくないと思っています」

コンサートには60人以上が出演し、被爆ピアノの伴奏で合唱なども披露されました。

矢川ピアノ工房 矢川光則さん
「やっぱり今の若い人たちが平和というものに関して何か考えてもらう一歩、きっかけ作りには被爆ピアノがすごく役立っているものでね、だから被爆者がいなくなっても、特に被爆地広島にとっては後世にそれをどう伝えていくか大きな課題になっているんです。そういうことを考えれば、これからも被爆ピアノというものが果たしていく役目というのはますます大きくなっていくのではないかなと思いますね」

広島で生まれた悲劇のピアノは、80年の時を経て、高岡の地で希望の音色を奏でました。参加した子どもたちの純粋な言葉や、出演者一人ひとりの祈りは、ピアノが刻んできた歴史の重みと共鳴したようでした。

被爆体験者からの直接の継承が難しくなる中で「モノ」が語りかける平和のメッセージは、歴史の証人として一層重要性を増しています。