キラニ・ジェームス 一夜にして国民的英雄へ【2011年韓国・テグ大会】

カリブ海の島国、グレナダ出身のキラニ・ジェームス(当時18)はまるで子鹿のように軽やかに跳ねる走りが印象的だった。

小谷実可子さん:
若き日のウサイン・ボルト(男子短距離、ジャマイカ)やアリソン・フェリックス(女子短距離、アメリカ)もそうでしたが、バネがあって走りが軽やかな選手は「きっと大物になる」という予感があったんです。キラニ・ジェームスも本当に輝いて見えました。

小谷さんは、サブトラックでのウォーミングアップから彼に注目していた。人口わずか11万人の小さな国に生まれ、控えめで自信なさげな少年だったジェームスは、男子400mで決勝進出を決めた。直感的にインタビューを試みようとした小谷さんだったが、ジェームスは見当たらない。探し回った末、ひと気のない木陰で「どうしよう…」と困り果てた様子の彼を見つけた。

決勝を控える彼にいきなり話しかけるのはためらわれた。小谷さんは彼のコーチに取材の許可を求めた。コーチは「彼が強くなるためには、海外メディアへの対応も必要だ」と快諾。意を決してマイクを向けたものの、小谷さんはジェームスが何を答えたか全く覚えていないという。ただ「頑張ります」といった当たり障りのない返答だったと回想する。

そして迎えた決勝。陸上ファンの間ではアメリカのラショーン・メリットが優勝候補の筆頭だったが、優勝したのはなんとジェームスだった。グレナダ初の金メダルという快挙に国中が沸き立ち、後に『キラニ・ジェームス通り』が作られるほどの熱狂的な歓迎を受けた。ほんの数時間前までおどおどしていた少年が、一躍国民的英雄へと駆け上がったのだ。その劇的な過程を目の当たりにできたことは、取材者としてこの上なく素晴らしい経験だったと小谷さんは語った。

金メダルを獲得したジェームス(テグ大会)

多田修平 諦めない心が掴んだ栄光【2019年カタール・ドーハ大会】

男子4×100mリレー決勝でのこと。予選からメンバーが変更され、第1走者を務めることになったのは多田修平(当時23)だった。リレーではメンバーから漏れた場合、モチベーションを保つことが難しい場合もある。しかし多田は違った。彼はチームを盛り上げ、誰よりも明るく振る舞っていた。

小谷実可子さん:
悔しいはずなのに、なぜこれほど明るく振る舞っていられるのだろうと見ていてちょっと泣けてきました。

決勝では、多田が持ち味のロケットスタートから流れを作り、4人が完璧なバトンパスを決め、日本は見事銅メダルを獲得した。日本記録、さらにアジア記録も更新する快挙だった。

多田修平

小谷実可子:
予選を走れなかった多田選手でしたが、前向きな姿勢を保ち続けた結果、メダルをつかみ取ることができました。諦めずに挑み続ける選手に、スポーツの神様は微笑むんだと改めて学ばせてもらった出来事でした。

小谷さんが現役復帰を決めた〝原動力〟

唯一無二の才能、成長と変化、諦めない心の強さ、魔法のような力…。陸上競技の取材を通して、選手たちの人間ドラマに心揺さぶられ続けた小谷さんは、これらの経験に背中を押され、56歳の時アーティスティックスイミングの選手としての現役復帰を決め、この年の世界マスターズ選手権で3冠に輝いた。58歳になった今年(2025年)もシンガポールで開催される世界マスターズ選手権への出場を予定している。

左から3人目が小谷さん

■小谷実可子プロフィール
1966年8月30日生まれ、東京都出身
アーティスティックスイミング(旧シンクロナイズドスイミング)でソウル五輪に出場し、ソロ・デュエットともに銅メダルを獲得。夏季五輪で初の女性旗手も務める。の女性旗手も務める。引退後は東京2020招致アンバサダーなど五輪・教育関連で要職を歴任。10を超える役職と家庭を両立させながら56歳で競技に復帰。2023年世界マスターズ水泳選手権アーティスティックスイミングのチーム、ソロ、デュエットで金メダルを獲得。2025年8月世界マスターズ水泳選手権2025に出場予定。TBSテレビ「世界陸上」では1997年から13大会連続でサブトラックリポーターを務めた。

小谷さん(世界陸上オレゴンの取材時)