今年9月、34年ぶりに東京で世界陸上が開催される。決戦を前に選手たちが過ごすサブトラックでは、時に本戦以上のドラマが生まれる。1997年から13大会、サブトラックでのリポートを担当し、アスリートたちの様子を見つめ続けてきた小谷実可子さんが、陸上界のレジェンドたちにまつわる意外なエピソードや知られざる素顔を語った。

今回は、小谷さんが長年取材してきた中で特に印象深いと話した、米短距離界のお騒がせ男や世界新連発のスター選手、日本一のスタートダッシュを誇ったスプリンターなど、とっておきの『ここだけの話』をまとめて紹介する。

ドラモンド 前代未聞の騒動から名伯楽へ【2003年パリ大会、2007年大阪大会】

「I didn’t move!(私は動いていない!)」

パリ大会の男子100m2次予選で、全米選手権2位のメダル候補、ジョン・ドラモンド(アメリカ、当時34)は、まさかのフライングで失格となった。後に禁止薬物で資格停止処分も受けた〝お騒がせ男〟は、このときトラックに寝転がり、10分以上にわたって絶叫し猛抗議を続けた。この前代未聞の騒動は競技の進行を著しく遅らせ、小谷さんに「ドラモンド=暴れん坊」というイメージを強く植え付けた。

トラックに寝転び抗議するドラモンド

しかし4年後、小谷さんのドラモンドに対する印象は一変する。ドラモンドは、金メダル最有力、タイソン・ゲイ(アメリカ)のコーチとして大阪大会に現れた。

小谷実可子さん:
私の中では、トラックでごねまくっていたドラモンドのイメージしかなかったのですが、意外なことに、4年後、大阪に来た彼は、自由奔放なタイソン・ゲイに対して激しく怒っていました。かつて騒動を起こしたドラモンドが、規律を重んじるコーチになっていたことに正直驚きました。

結果的にゲイは、100m、200m、4×100mリレーの三冠を達成し、ドラモンドはコーチとしての手腕をいかんなく発揮した。さらに人間味あふれる一面も垣間見えた。ゲイの活躍が大きく載ったスポーツ新聞を、コンビニを駆けまわって買い集め、まるで少年のように、嬉しそうに小谷さんへ見せたという。前代未聞の抗議を続けた選手が、人を育てる立場となり、教え子の活躍に目を輝かせる。成長を目の当たりにした小谷さんにとってドラモンドは深く心に残るアスリートとなった。

イシンバエワ スーパースターの意外な素顔

女子棒高跳のエレーナ・イシンバエワ(ロシア)は、「世界記録は私の名刺代わり」と豪語するスーパースターだ。屋外で15回、屋内で13回の世界記録を樹立し、5m06は未だ破られていないワールドレコードであり、世界陸上でも3度の優勝を誇っている。小谷さんは、その圧倒的な実力に加え、スター性や端正な顔立ちから、彼女に近寄りがたい印象を抱いていた。

イシンバエワ

しかし、ある記者会見でその印象は大きく変わったという。

会見の直前までりんごを食べていたイシンバエワは、食べ終わったりんごの芯を捨てる場所に困り、会見の時間が迫ってもゴミ箱を見つけられずにいた。

小谷実可子さん:
世界の陸上界の中心にいたイシンバエワが、スタッフにも言えず、どうしようどうしようと、たった一つのりんごの芯すら捨てられず、茶色くなるまで我慢していたんです。私が『受け取るよ』と声をかけると、彼女は『本当にありがとう』と心底感謝してくれました。

この瞬間、小谷さんはスーパースターの「普通の女の子」のような、かわいらしい素顔を見たのだった。