輸送船「富山丸」に…およそ3700人が死亡

終戦のおよそ1年前の昭和19年6月27日、陸軍に入隊してまもない榮吉さんたちおよそ4000人の兵隊らは、沖縄への増援部隊として輸送船「富山丸」に乗りました。

鹿児島港を出港し奄美大島に寄ったあと、29日午前7時45分、徳之島の東の沖合で、アメリカ軍の潜水艦から魚雷攻撃を受けました。船は沈没し、およそ3700人が死亡しました。

(川南いく子さん・84)
「出港しようとしたときに休暇で帰ってきたらしい。私が離れなかったって、父さんのひざに乗って。つらかったでしょうね」

「お葬式をしてくれた。学校を借りてね」

沈没から半年後、自宅前にある小学校の校庭で父親の葬式が執り行われました。川南さんの弟も病気で亡くなり、悲嘆に暮れる母親や2人の兄。写真に写る川南さんは4歳でした。