“標準記録突破”が2人の競技生活にどう影響したか?
日本インカレの準決勝は48秒台が続出したラウンドだった。井之上自身も「出てしまった記録」と謙虚に語る。だが日本記録や48秒台前半で走るイメージは、それ以前から持っていた。
「為末さんの通過タイムを参考に練習もしていました。しかしそのタイムを出すためのスピードが足りない、体力が足りない、技術が足りない。頭ではイメージできているからこそ、足りない部分にすごく目が行ってしまいます」
今季のレースでは前半型のレース展開を行うことで、後半の大きな失速を招いていた。スプリント能力は上がり、400mでは46秒22を出すまでになったが、井之上のスプリント力は、ピッチを速くすることで向上していた。400mハードルの前半でストライドが狭くなり、ハードルへの踏み切り位置が遠くなってしまって負荷がかかり、後半の失速につながった。
「アジア選手権から帰国後に(ストライドを大きく)ゆっくり走る練習をしたことが、日本選手権の成績につながったと思います」
昨年4レースで出した48秒台を今季初めてマークし、自信を持てなかった日本選手権3位以内も確保した。国内で勝てなかったが、昨年は“出てしまった”48秒台前半を、今は狙って出すプロセスが見え始めた。
「これまでの取り組みが間違っていなかったことが、日本選手権の結果で証明されたと思います。ここから2か月、自分を信じて、コーチ(法大の苅部俊二監督)を信じて、今までやってきたことの延長をやっていきます。タイム的には日本記録を目指していきます」
井之上は昨年の標準記録が「プレッシャーになったこともあった」というが、高いレベルの記録を出したことでアジア選手権代表に選ばれたり、レース経験の幅が広がったことはプラスに働いたと評価している。
実は野本も23年の13秒20で、パリ五輪参加標準記録の13秒27を破っていた。しかし野本はそのアドバンテージを生かすことができなかった。「今から考えたら“突破しちゃった”みたいな感じで、そこから自分を追い込んで、追い込んで、という感じでやってケガをしてしまいました」。そのケガの影響で24年はシーズンベストも13秒38にとどまり、パリ五輪代表入りを逃した。
しかし昨年から広島大の尾﨑雄祐コーチの指導を受け始め、ハードリング時の前傾を強調する動きなどで、技術的な変貌を遂げることができた。
今年で30歳になるシーズンでの、初の五輪&世界陸上の代表入りである。「(代表入りするまで)時間がかかったとは思っていません。もうちょっと続ければやれるのかな、という考えを持ち続けられました。それが僕の陸上かな、と思います」
遅咲きだがやってきたことは、世界でも通用すると信じられる。世界陸上の目標を問われ「やっぱり表彰台に立ちたい。メダルを取りたいです。そのためには12秒台が大きな目標になります。足りない部分が多いので、1個1個補っていきます」。
日本選手権を勝つことができなかった2人だが、世界陸上に向けては迷わず向かっていける。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

















