「安田講堂立てこもり」から入試中止へ

1969年1月10日、加藤代行と学生の代表団(各学部から代表を出した)は「確認書」に合意し、多くの学部でストライキが解除されました。

一部学生は合意に応じず、安田講堂に立てこもりました。(画像は安田講堂時計台のてっぺん)

ところが、一部の全共闘派は安田講堂などの占拠を続けたため、1月18日から19日にかけて、のべ8,500人もの機動隊が出動したのです。これがいわゆる「安田講堂事件」です。

火炎瓶を投げる学生たちに機動隊は放水をもって応戦しました。

安田講堂に立てこもる学生たちは屋上から火炎瓶を投げつけました。これに対して機動隊は放水で応戦、投降を呼びかけました。
この騒動により多数の学生が逮捕され、全共闘は壊滅的な打撃を受け、紛争は収束へと向かいました。

1年にもおよぶ東大紛争は、真冬の放水と機動隊の突入でようやく終わったのです。

767人もの逮捕者

政府は1969年度の東京大学入試を中止する決定を下し、大学側もこれを受け入れました。最終的に767人が逮捕され、616人が起訴、133人が実刑判決を受けました。
東大紛争は、大学自治や民主化を問いかける全国的な学生運動の象徴的な事件でしたが、学生たちの「挫折の記憶」でもありました。

講堂内に機動隊突入。多くの学生たちが問答無用で逮捕されました。

しかし、令和の今これを見ると、筆者のようなかなりのオヤジ記者(89年文学部卒)にとっても「昭和の学生たちは元気だったんだなぁ」と感嘆せざるを得ません。