東大紛争(東大闘争)は、1968年から1969年にかけて東京大学で起こった大学紛争です。東大のシンボル安田講堂に学生が立てこもり、講堂は炎と水に包まれました。(アーカイブマネジメント部 疋田 智)
医学部から全学部へ
東大紛争の発端は、東京大学医学部による登録医制度の導入でした。
インターン制度に代わるこの制度に、学生たちは「医師の労働力を安価に確保するための制度だ」と反発したのです。

1968年1月、医学部の学生たちは無期限のストライキに突入し、2月には学生と医局員が衝突しました。当局は17名を処分しましたが、そのうちの1人に誤認処分の疑いが浮上し、学生側は処分の撤回を強く求めました。
しかし大学側はこれに応じず、ここからいわゆる東大紛争はスタートします。
