「お国のために」と信じた9歳の少女

山本睦美さん
「この鐘だけない。なんとなくさびしい」

寺の鐘が供出された時、住職の母・山本睦美さんは9歳でした。

山本睦美さん
「お国のためにと思って、あの頃はもう兵隊さんとお国のために勝つということ。それでアメリカが倒せるんならとは思いましたね」

銃を構える軍人を支えるため、その後ろにいる国民が努力をしなければならない。当時は、そう言って国民の戦意を鼓舞していました。

しかし、その一方で子どもにすら敵意を植えつける教育も行われていました。

軍歌
「いざ来いニミッツ、マッカーサー 出てくりゃ地獄へ逆落とし…」
山本睦美さん
「なんかひどい。敵国とはいえ…。やっぱり私たちは学校でものすごく教育されましたからね」

戦争の現実を目の当たりに

真珠湾攻撃以来、国民には日本軍の快進撃が伝えられました。睦美さんは当時、戦争に負けるとは思っていなかったといいます。

戦時中、寺は兵舎となり、多くの軍人が寝泊まりをしました。通信機のような機材が持ち込まれ、近くの山に行き来する兵士の姿を覚えています。

アメリカの戦闘機や爆撃機が頭上に現れることもありました。パイロットの顔が見えるほど低く飛ぶこともあったといいます。

山本睦美さん
「終戦になってもトラウマでね、アメリカ兵が攻めてくる夢とかね、防空壕に逃げ込む夢をしょっちゅう見てました」

平和への願いを込めて

山本住職は、失われた鐘について思いを語ります。

山本住職
「安寧を願う鐘、日本人の心に安心感をもたらすような音色、そういうものをもたらす鐘が戦争の道具に使われるというのは本当に寂しいしつらい。そういう気持ちになります」

終戦から80年。いまだに繰り返される憎悪と敵意の応酬。かつての鐘の音は失われましたが、その芽を摘むことが残された私たちに課せられた使命と睦美さんは考えています。

山本睦美さん
「相手を思いやったり、向こうが思いやったり、お互いが愛し合っていくこと。それが変わってる人もおりますけど、変わらない人もいる」