80年前のきょう、沖縄戦の組織的な戦闘が終わりました。20万人以上が犠牲となったこの戦いで、投降を呼びかけ 命を救ったという日本人がいます。最近まで語られなかった、沖縄戦の記憶を遺族と共にたどりました。
沖縄戦 秘められた記憶 「投降を…」命の呼びかけ

喜納明美さん(76)は、亡くなった父親・入江昌治さんが、沖縄戦で特別な役割を果たしていたと最近になって知らされました。
喜納明美さん
「(父は)戦争の話はほとんどしなかった」

沖縄戦が終結した頃、アメリカ側が撮影したとみられる映像。日本人の捕虜の男性が、海岸の岩陰に隠れている日本人に対し、投降を促している様子を映したとされています。
明美さんの父親もこの男性と同じような立場にいたとみられているのです。

喜納明美さん
「沖縄の人を1人でも2人でも、多く救いたかった。自分の命が大事だからと(投降を)呼びかけていたと思う」
ただ、父親は戦時中のことを全く語らなかったため、詳しいことはわかっていません。
最近になって、沖縄県内の介護施設に父親の呼びかけで命を救われたという人が生きていることがわかりました。
もうすぐ99歳になる渡口彦信さん(98)です。

渡口彦信さん
「死と生の分かれですから」
民間人も合わせて、20万人以上が犠牲となった沖縄戦。

渡口さんが入隊したのは、終戦の1945年3月。翌月にはアメリカ軍の沖縄本島での地上戦が始まり、日本軍は南へ南へと撤退していきました。
仲間2人とたどり着いたのが、糸満市の海岸でした。
渡口彦信さん
「波うち際に死体がいっぱい横たわっていて、(死体の)ポケットを食べるものないかとあさった。鬼みたいなね、人間であって人間ではない気持ち」
アメリカ軍から隠れ、岩場に身を潜めて5日ほど。海の方から耳なじみのある言葉が…

渡口彦信さん
「『いじてぃめんそーれ』と。(沖縄の言葉で)出ておいでなさいという意味。食糧もあるし、命も助かるからと。沖縄の人が沖縄語で呼びかけをしていた」
アメリカ軍の船から、沖縄の言葉=ウチナーグチで投降を呼びかける声が聞こえてきたのです。
自決も覚悟していた渡口さんは投降する道を選びました。
渡口彦信さん
「沖縄語であの人が呼びかけをしたおかげで、命が助かったから、いつか是非お会いしたいと思っていた」