通常国会がまもなく閉幕し、7月には3年に一度の参院選が行われる。衆院における「少数与党」という特殊な政治状況の中、今回の参院選はどんな意味を持つのか、TBSテレビの解説委員が解説、展望する。
たびたび“地殻変動”を呼び起こした参院選
22日に会期末を迎える通常国会が終了すると、永田町の関心は来月の参院選挙に集中する。
参院選と言えば、結果次第で総理大臣が替わるかもしれない「政権選択選挙」の衆院選と比べると地味な印象を抱きがちだ。しかし、過去を振り返ってみると参院選が引き金となり、政界に大きな地殻変動を呼び起こすことが何度もあった。
筆者が記者駆け出しの時代の話だ。自民党で派閥を取り仕切る「領袖」と呼ばれる政治家を取材していた時、このような話を聞いた。
「君たち選挙と言えば総選挙(衆院選)が重要と思っているかもしれないが、政局のトリガー(引き金)となるのは常に参院選だよ」
1989年7月の第15回参院選。自民党は改選の126議席中、36議席しか獲得できず、まさに歴史的大敗を喫した。4月からの消費税の導入や、与党の大物政治家らに未公開の株式を譲渡していたことが発覚した「リクルート事件」への批判が政権与党に直撃した結果だ。
これに対し野党第1党の日本社会党は46議席を獲得。土井たか子委員長はこの結果を「山が動いた」と表現し、流行語となった。

自民党は参議院での単独過半数の議席を失ったため、重要法案の審議に当たっては野党の協力を求めざるを得なくなり、国会運営は不安定化した。93年の非自民勢力が結集した細川護煕内閣の誕生の遠因となったという見方も根強くある。
「山が動いた」から9年後、98年の第18回参院選は政権の枠組み自体を大きく変えるきっかけとなった。
投票日、筆者は入社3年目で政治部には所属していなかったのだが、応援で、午後の早い時間から自民党本部に詰めていた。すると党関係者の往来が激しくなるなど空気が怪しくなってきた。自民党が想定よりもかなり議席を減らしそうだと言うのだ。結果は現有議席の60を16減らす44議席だった。
その夜、自民党総裁である橋本龍太郎総理は、各報道機関のインタビューで退陣する考えを表明した。脂ぎった顔に苦渋の表情を浮かべながらインタビューに応じていた橋本総理の表情を間近に見ながら、「政権が終わるというのはこういうことか」と漠然と感じたことを覚えている。

この結果、自民党が参院に占める議席の割合は4割程度に落ち込み、自民党単独では法案を成立させるのが絶望的な状況となった。自民党は翌年、公明党と自由党の2党との連立政権を組むことを決断した。「自自公政権」などと呼ばれる連立政権時代の始まりとなった。自由党は途中で離脱したものの、自公政権は4半世紀以上たったいまも続いている。
さらにこの選挙から9年後、2007年の第21回参院選は多くの読者の印象に残っているのではないか。52歳で戦後最年少の総理に就任した安倍晋三自民党総裁だったが、年金記録の不備や閣僚の事務所費問題、問題発言などが相次ぎ自民党は苦戦した。
特に勝敗の帰趨を決める29の「1人区」で自民党は6議席しか獲得できず、全体でも37議席にとどまり、60議席の小沢一郎代表率いる民主党などに大敗した。非改選との合計でも自民党は83議席で、民主党の109議席に大きく水をあけられ、初めて参院の第一会派の座を譲り渡した。

参院で多数を占める民主党の合意を得なければ、重要法案が全く通らなくなるという「ねじれ」の状態になったのだ。このため選挙後1か月半後には安倍総理は体調不良を理由に辞任を表明。一方、民主党は参院選の余勢を駆って2009年には政権交代を果たした。
過去30年余りを振り返ってみたが、参院選をきっかけに時の権力構造が何度も変わってきたことが良くわかる。
なぜ参院選がカギを握るのか。一つの答えは参院選の結果は長く変わらないからだ。3年毎に半数が改選され、任期が6年の参院は一度結果が出るとなかなかその勢力分布は変わりづらい。特に与党が議席を大きく損なう場合は回復に時間がかかる。
89年に歴史的大敗を喫した自民党は参院で単独過半数割れとなったが、再び単独過半数を回復したのが実に27年後の2016年7月だった。4半世紀以上の時間を要したのだ。