◇《木製戦闘機『キ106』の製造に動員された若者たち》

 戦闘機と言っても、ここで作られていたのは、木製の『キ106(いちまるろく)』です。当時、戦況が悪化し、アルミニウムなど飛行機の材料が不足。木製の胴体に金属製の動力部などを取り付けた戦闘機でした。

男性の多くが徴兵にとられ、国内は深刻な労働力不足に陥っていました。木製戦闘機を作るため、江別製作所に動員されたのは、若い女性や中学生らでした。

荒木颯太記者
「おはようございます」

13歳のとき、江別製作所で働いていた佐藤明さん。現在91歳です。

佐藤明さん(91)
「広場でね、最初にできた飛行機が飛び立って、みんなでワァーて拍手していましたよ。自分たちが、これだけのもの作ったんだっていう喜びでね」

 木製戦闘機『キ106』は、80年前の1945年(昭和20年)6月11日、初めて江別から飛び立ちました。最後には日本が勝つ、だからお国のために働く…、日本中がそう思っていました。

しかし、佐藤さんは、いま思えば木製戦闘機で戦うことは、無謀だったと語ります。

佐藤明さん(91)
「敵国の飛行機と遭遇すれば、いい餌。ばーってやられちゃう。乗っている人たちはね、命がね、簡単に任務が達成されないままにやられたら、あまりにもひどい」

強度を保つために木をぶ厚くした結果、機体は重くなり、空中戦に必要な上昇力などが大きく劣っていました。江別で、木製戦闘機『キ106』は3機作られました。ただ、実戦で使われることは一度もありませんでした。