仲間の医療に携わる衛生兵2人が、逃亡のための食料として仲間を殺し、その尻の肉を削ぎ落したのです。

「結局、逃亡した2人はソ連兵に銃殺され、見せしめとして亡くなった3人とも収容所の門の前にさらされた」と101歳の村山元威さんは言います。

「戦争になりゃ、生きるためには、そういうことやるんだ。やらなきゃ駄目…」
「だからなんというか、戦争は人間のやるべきことじゃない」

生きて帰ると強く願い、時には仲間同士で歌を歌ったり、木でスプーンを作ったり…。
小さな生きがいを見つけながら4年を生き抜き、1949(昭和24)年8月、25歳になった村山元威さんはようやく祖国の土を踏みます。

「日本の国は、こんなに緑が綺麗で美しい国だ、ってね」
「というのは、やっぱりシベリアでジャングルみたいな風景と舞鶴の山の緑っていうのとは、全然感じが違う。ああ生きて帰れた…」