原点は仙台 夢の舞台“ショパンコンクール”
仙台市で生まれた京増さんがピアノを始めたのは4歳の頃。

京増修史さん
「幼稚園の先生ってピアノを弾くじゃないですか。それを家に帰って電子ピアノで先生が弾いたものを真似して弾いていたみたい。それで母が習わせたいと」
めきめきと腕を上げ、日本で最難関とされる東京藝術大学を首席で卒業。大学院在学中の2021年、夢だったショパンコンクールに出場を果たします。

京増修史さん
「いつか自分も応募だけでもできたらいいなと思っていたら本大会まで出ることができて」
初の国際コンクールへの挑戦で本大会の2次予選まで進みました。
京増修史さん
「ものすごく緊張した。こんなに自分って緊張するんだってくらい」
もうやり切ったと、当初2度目の挑戦は考えていなかったという京増さん。しかし、年齢制限で今回が最後の出場機会ということもあり、後悔はしたくないと再挑戦を決めました。
京増修史さん
「ずっとショパンの曲を勉強していた。だからすごくそばにいる存在のようで実は勉強するとすごく奥が深くて」
ビデオ審査を経て、世界各国から171人が出場した予備予選を勝ち抜きました。
その実力は、もちろん才能だけによるものではありません。

京増さん
「ショパンの楽譜は・・・外国人の先生のレッスンを受けた時に『君これでよく音符見えるね』と言われた笑」

楽譜には無数の書き込み。努力の跡が垣間見られます。

京増さん
「表現的な、ここで曲の山をつくるとか、このメロディーを聴かせたいとかメモしている」