陸上自衛隊第15旅団によると、第101不発弾処理隊が行った不発弾処理は、沖縄県が本土復帰した1972年以降、4万322件、1892トンに上る(6月6日時点)。これまでに自衛隊の処理に伴う爆発事故は発生していない。
沖縄県によると、「不発弾保管庫」は県が設置したもので、県内で発見される不発弾等を自衛隊が最終処理するまで保管している。
沖縄県と自衛隊との申し合わせにより、不発弾の管理は陸上自衛隊が実施している。
復帰後 幼い子どもが犠牲になる不発弾爆発事故も
1948年、伊江島で沖縄戦の不発弾などを積んだ上陸用舟艇(LCT)が爆発し、住民100人あまりが犠牲になった。米国事故調査報告書によると負傷者は70人。
1974年、那覇市にあった聖マタイ幼稚園わきの建設工事現場で不発弾が爆発。3歳の園児1人と作業員3人が犠牲になった。4人が重軽傷を負い、家屋86棟、車両51台が全半壊した。
2009年、糸満市の配水管工事現場で不発弾が爆発し、ショベルカーを操縦していた男性作業員が顔などに大けがをした。現場近くの老人ホームでは爆風で窓ガラス100枚あまりが割れるなどの被害があった。