戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。沖縄戦の悲惨さを伝える象徴的な映像として知られる「震える少女」。この映像に映る少女・浦崎末子さんが戦後80年の今年、次の世代に平和への思いを託したいと、胸の奥にしまっていた当時の記憶を語ってくれました。

アメリカ軍が撮影した沖縄戦の記録映像に登場する「震える少女」。80年前、幼い少女はどんな思いでカメラを見つめていたのか。少女を訪ねました。

那覇市に住む浦崎末子さん(87)。当時7歳で沖縄戦を体験しました。

浦崎末子さん
「震えている。いまだに震える、ガタガタして。水筒の水を飲ませているんだね。(Q.これは末子さんですか?)私よ。あの時の怖さ、いまだに思い出す。道で亡くなっている人もいたよ」

浦崎さんは砲弾が飛び交う戦場を逃げ惑う中、アメリカ兵に遭遇しました。

浦崎末子さん
「(アメリカ人を)初めて見るから怖いよ。青い目は見たことないさ。(Q.この道を歩いたことは覚えている?)覚えている。あの家の辺りに米兵はいたよ。向こうに米兵は眠っていた。帽子をかぶって、鉄砲を置いて。この辺りで水を飲まされた」

80年前に映像が撮影された場所です。

浦崎末子さん
「米兵が水を飲ませた。(水を)吐き出した覚えもある。怖くて、薬が入っているんじゃないかと。どこに殺しにいくのかね、どこで亡くなるのかと思っていた」

長年、自身の体験を語らずにいましたが、次の世代に平和への思いを託したいと心にしまっていた記憶を話してくれました。

浦崎末子さん
「戦争は、もうないようにお願いします。助けてくれて、ありがとうございました。一番、戦争が怖い、なくしてほしい。戦争の犠牲にさせて。考えてもらいたい」

7歳の少女の心に刻まれた悲惨な戦争の記憶。この先も平和の尊さを伝える記録として語り継がれます。