バレーボールの名門、大阪の四天王寺中学から声がかかり、松本さんは、そこで寮生活を送りながら高いレベルでバレーボールに打ち込む決意をした。

◆松本愛希穂さん
「四天王寺の監督さんに『うち、どう?』と声をかけていただいて、小学6年生の時に1日、練習に参加しに行ったんですけど、もう、即、決まりました。関西弁の熱気、プレーの速さ、先輩方がボールを必死に追っかけている姿を見て『あぁ、もう、ここでやりたい』って思ったのを覚えています」

◆松本愛希穂さん
「一人っ子なんですけど、それでも両親が県外に出してくれた。“背中を押してくれた”というのが、本当に一番大きいと思います」

1人娘が、中学入学と同時に親元を離れる…。両親にとって大きな不安があったが、父の司(つかさ)さんは、当時の娘の熱意に“覚悟”を抱いたという。

父・司さん

◆松本さんの父・司さん
「『大阪に行かないと上手にならないから、行かせてほしい』ということだったので、そこまでバレーをやりたいなら、とことんやらせてあげたいなと。妻と2人で腹をくくりましたね」

高知の小さな村で育ち、実績を残した松本さんは、都会の強豪校へ飛び込んだ。周りには全国クラスの選手がたくさんいたが、背中を押してくれた両親への感謝の思いを胸に競技に打ち込み、四天王寺高校時代には“インターハイ”や“春高バレー”にも出場した。

大学は東海大学へ進学し、4年時の秋季関東リーグで最優秀選手賞を受賞。大学選抜にも選出された。そして、プロのチームから声がかかったが、当初は「プロ」という進路選択に悩みもあったという。

◆松本愛希穂さん
「プロに行くのは、ちょっと悩みましたね…。“部活動”として続けてきた競技が、“お金を稼ぐ”形に変わるというのは、覚悟もいることですし、自分自身にプレッシャーがかかることだったので、とても悩んだんですけど…」