江戸時代に薩摩藩が岐阜県の木曽川などで行った「宝暦治水」。それが縁で鹿児島市と岐阜県の中学生が交流しました。

甲東中学校を訪れたのは、岐阜県養老町の高田中学校と東部中学校、2つの中学校の生徒ら6人です。

「宝暦治水」は難航して80人以上が犠牲となり、指揮をとった家老の平田靭負は責任をとって自害したとされています。

甲東中学校は近くに平田の屋敷跡があることから、3校の交流が続いています。

(岐阜・東部中学校3年生)「(平田靭負は)自分たちの住む養老町にとって欠かせない人物で、決して忘れてはいけない存在」