やなせたかし氏から学んだ「くじけない心」

もう一人、漫画『アンパンマン』の作者・やなせたかしさん。12年前に94歳で亡くなりましたが、私がはじめてお目にかかったのは、その8年前、やなせさんが86歳のときでした。とにかく明るく楽しく、そして優しい人柄でした。入退院を繰り返しながらも、病院の子どもたちを勇気づけたいとチャリティを企画し、「自分も楽しみたいから」と音響セットを購入したというエピソードもあります。

徴兵されて終戦翌年に帰還、くず拾いの会社などで苦労も経験し、高知新聞勤務などを経て三越に入り、仕事に追われながらも漫画家の夢を捨てず、描き続けました。「アンパンマン」がテレビアニメになって大ヒットするのは69歳の時です。

やなせ:生きていくっていうのは、満員電車に乗るようなものでね。その中で席を見つけるということなんですよ。頑張ってずーっと乗ってると、いつの間にか1人、2人と降りていく。『わあっ、あそこ空いた』って(笑)。満員でも、無理矢理乗っちゃうんです。やめたらダメ。降りたら終わり。あきらめさえしなければ、貧乏でも何でも、必ず糧になる。後で考えると、やっぱり何かにつながってる。必要なんだ。

私はずっとこの言葉を胸に刻んでいます。

現代の子どもたちへの懸念

やなせさんは、現代の子どもたちの世界について胸を痛めていました。

やなせ:犯罪とかがあって、子どもが外で遊べなくなったのもかわいそうだけど、オートロックとか、家庭自体が隔離空間みたいになっているのも、かわいそうだと思う。家にいろんな人が出入りしなくなったでしょう。『育つ』って、人と接していないとね。

この言葉から20年が経ち、現在はSNSを通じて、危険な人と繋がってしまう社会になりました。子どもたちを守りながら、いかに人と接し、自然や美しいものに触れる機会を作っていくか。私たち大人に課せられた課題はますます大きくなっていると感じます。

大宮エリーさんからは、「うまくできなかったら恥ずかしいとか、つまらないプライドで、やったことがないことに挑戦しない」勇気のなさや、「相手が求めることに、みっともないくらい精一杯応える」大切さを教わりました。多くの故人から託された学びを、これからも様々な機会を通じて伝えていきたいと思っています。

◎潟永秀一郎(がたなが・しゅういちろう)

1961年生まれ。85年に毎日新聞入社。北九州や福岡など福岡県内での記者経験が長く、生活報道部(東京)、長崎支局長などを経てサンデー毎日編集長。取材は事件や災害から、暮らし、芸能など幅広く、テレビ出演多数。毎日新聞の公式キャラクター「なるほドリ」の命名者。