戦後80年プロジェクト「つなぐ、つながる」です。戦時中、400人あまりの若者が出撃した鹿児島・知覧の特攻基地。身を捧げる青年たちを見送り、「なでしこ隊」と呼ばれた女性が「特攻は美談ではない」と80年前の記憶を語ります。
桜の枝を手にした女学校の生徒たち。太平洋戦争末期、敵の艦船に体当たりする特攻隊の若者を見送っています。彼女たちはのちに、「なでしこ隊」と呼ばれました。
陸軍最大の特攻基地があった鹿児島の知覧。沖縄特攻の死者のうち、半数近い439人がこの地からの出撃でした。
報告
「当時、なでしこ隊だった女性が北九州市門司区にいます」
知覧出身の三宅トミさん(95)。特攻隊の身のまわりの世話をし、出撃を見送りました。高等女学校に通っていた15歳の時のことでした。
なでしこ隊だった三宅トミさん
「出撃の前の日は(隊員と)ゆっくり遊べた。心をまぎらわすためだったのでは。家に帰ってから、隊員を思い出したら涙が出て、たまらなくなって号泣したこともあった。(なでしこ隊の)皆さん、よそを向いているでしょう。もう見られるものじゃないですからね。死にに行くのと一緒、飛行機が飛び立つ時は」
「また来られたね。良かった」
今月3日、故郷・知覧で開かれた特攻隊の慰霊祭。なでしこ隊の参列は減り続け、今年は三宅さん一人でした。
なでしこ隊だった三宅トミさん
「来年は会えないかも」
母・チノさんがなでしこ隊 桑代照明さん
「いや、また来年も会わなきゃだめだよ」
桑代照明さん(68)。なでしこ隊だった母親が毎年、参列していましたが、今年は骨折で入院し、かないませんでした。
母・チノさんがなでしこ隊 桑代照明さん
「(母は)『手を合わせに来られず残念。病院のベッドから手を合わせる』と」
当時の記録が少ないうえに、高齢化で体験者が減っている「なでしこ隊」。照明さんは母親の記憶をもとに、語り部をしています。
母・チノさんがなでしこ隊 桑代照明さん
「(母自身が)少しでも長生きしないといけないことも分かってくれている。その思いを僕らは伝えていかなければいけない」
今年、慰霊祭に参列した三宅さんも、この夏、小学校で当時の記憶を語り継ぎます。伝えたいのは、特攻の「ありのままの姿」です。
なでしこ隊だった三宅トミさん
「あれは美談ではない。惨劇、悲劇。次の世代があんな時代になったら困る、少しでも話しておこうと」
あの日、目にした特攻隊員の最後の姿を胸に、80年目の夏を迎えようとしています。
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