「毎日の仕事が全て自分の肥やしに」70年大阪万博では通訳・案内役
「大屋根リング来た~!」
今年4月下旬、夢洲の万博会場で舞い上がる女性たち。彼女たちにとっては、55年ぶりの大阪の万博。当時、「万国博ホステス」と呼ばれた“コンパニオン”としてゲストをもてなした女性たちです。
1970年、77か国が参加した大阪万博。6400万人以上が来場しました。日本中から集められた約400人のコンパニオンが来場者の案内などを務めました。そのうちの1人、現在は神戸市で老舗の帽子店を営む渡辺百合さん(79)は、1つのパビリオンに常駐せず、通訳や案内を行う役を担っていました。
(渡辺百合さん)「これは、ホステスハンドブック。『これだけのことは最低限覚えときなさい』と渡された。1970年の万博は、『本当に来てよかった』と、どなたにも思っていただきたいという思いを込めながらアテンドしていました」
70年万博での経験は、当時24歳の渡辺さんを大きく成長させたといいます。
(渡辺百合さん)「毎日の仕事が、全て自分の肥やしになったというか、いろんなことをさせてもらった経験が大きい。いろんなことに興味を持って世界を見るという目が養われたと思います」