俺もじいちゃんになった。孫たちのため豊かな海であってほしい

(以下、全文)
祈りの言葉
令和7年度水俣病犧牲者慰霊式にあたり、患者・遺族代表として祈りの言葉を述べさせていただきます。
私は、いわし網の網元、五人兄弟の四男として昭和四十一年に水俣市の茂道に生まれました。
じいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃんが認定患者です。
家族が水俣病を発症してからのいじめ、差別、石を投げつけられたり、漁に使う網を切り破られたりは、家族が語る話でしか聞いていません。
それでも人を恨まず、子供の前では、つらい顔を見せない、洒落が好きな父ちゃん、いつも明るい母ちゃん。
漁に行って網を曳き、魚を捕って私たちを育ててくれたじいちゃんが亡くなって五十六年、
母ちゃんが亡くなって十七年、
ばあちゃんが亡くなって十三年、
父ちゃんが亡くなって十年になります。

小学校高学年になると、沖に出て網上げの手伝いをした。夏には潜って貝を捕った。
冬にはカキ打ち、ビナひらい。さまざまな魚介類が豊富な水俣の海が私は好きです。
毎年11月15日には、朝から漁に行き、早めに上がり、野菜の煮しめ、魚の煮つけ、刺し身、炊き込みご飯、色々な料理を並べ、えびす祭りが始まります。
友人、知人、親戚、様々な人たちを家に招き、酒を酌み交わし、歌をうたい、踊りをおどり皆を楽しませる。
そんなあなたたちの心は、苦しみ、悲しみを家族皆でカを合わせ乗り越えてきたから出来たのでしょう。
父ちゃん あなたの優しさ
母ちゃん あなたの度胸の良さは
私たちが引き継いでいます。
来年は私も60歳になります。父ちゃん、母ちゃん聞こえますか。あなた達がもじょがっていた孫たちにも子供ができたばい!!
俺もじいちゃんになりました。その孫たちが大きくなって、魚釣りや海で遊んだり楽しい思い出が生きる豊かな海であってほしいと願います。
これからも見守ってください。
最後になりましたが、水俣病の犠牲になられた全ての生命のご冥福を心よりお祈りして、祈りの言葉とさせていた だきます。どうぞ安らかにお眠りください。
令和七年五月一日 患者・遺族代表 杉本実