“あぶらとり紙のよーじや”が抱いた危機感とは?

 あぶらとり紙で有名な「よーじや」。こちらも「おみやげ」メインだった経営体質から大きく脱却しようとしています。

 (西村麻子アナウンサー)「京都らしい雰囲気が広がるかなと思いきや、ハンドクリームや香水も並んでいましてコスメショップといった雰囲気で、思っていた印象ととちょっと違います」

 京都の繁華街に2月にオープンしたばかりの『よーじや四条河原町店』。目立つ場所にあるのは化粧品です。おみやげで人気のあぶらとり紙は前面に出していません。それには理由が…。

 (よーじや5代目 國枝昴社長)「『脱・観光依存』という言葉をかかげて、商品ラインナップを日常に寄り添う形で増やしていこうと」

 創業120年を迎えたよーじや。当初は化粧品や日用品の店で楊枝と呼ばれていた歯ブラシの販売にも力を入れていたことから「楊枝屋さん」と地元の人たちに親しまれ、この愛称を店の名前にしました。

 大正時代にあぶらとり紙を商品化。時間をかけて京都の観光需要を取り込み、平成に入るころには「よーじやといえばあぶらとり紙」と言われるほどのブランドになりました。しかし國枝さんは、当時の状況について強い危機感を覚えたといいます。
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 (國枝昴社長)「(Q飛ぶように売れた当時をどう思っていた?)あぶらとり紙ブーム以降のよーじやは、何をやっても売れていた。天狗になっていた部分はあると思うんですね。リピーターが少ない、ファンが少ない。ファンの方に支えられているブランドではない」

 2000年ごろ、あぶらとり紙はよーじや全体の売り上げの約8割を占めていました。ピーク時は40億円の売り上げ(※よーじやグループ全体)を誇りましたが、競合他社の参入やあぶらとり紙ブームの陰りもあり、観光客頼みの「リピーターがいない」よーじやの売り上げはどんどん低下していきました。

 さらにコロナ禍が加わり、2020年の売り上げは前年に比べ97%落ち込みました。

 (國枝昴社長)「(通販で)買おうと思えば商品を買える環境にはあったんですけど、京都に行けないんだったら買わなくてもいいや、とみなさんに思われているのを痛感して、観光客以外の方々に魅力を感じてもらうブランドになる努力をしなきゃいけないと」