『母の日』は20世紀初頭にアメリカの女性が亡き母を偲び、その母が好きだった白いカーネーションを配ったことがきっかけで広まりました。
日本でも、普段なかなか伝えられない感謝の気持ち「ありがとう」をお母さんに伝える大切な日として定着しています。(アーカイブマネジメント部 森 菜採)

終戦後の「母の日」に

1951年(昭和26年)5月13日。大阪市で行われた母の日記念行事で、一人の母親が表彰されました。夫の電器商を手伝いながら21歳の娘さんを筆頭になんと11人もの子どもを育てるお母さんです。

母の日大会で表彰されるお母さん

表彰された高木さんは推定年齢40歳前後(フィルムに記録がないのです)。彼女への表彰は、その献身的な母親業に対する賛辞でした。

家庭内で多くの役割をこなし、すべての子どもに愛情を注ぎながらも家族のために懸命に働き続けるその姿は、まさに時代を象徴する母の姿だったのでしょう。

表彰式から帰ったお母さんをたくさんの子どもたちがお出迎え

しかし表彰されたからといって、日々の苦労が軽くなるわけではありません。家に帰れば、変わらず家事や育児に追われる毎日が待っています。

74年前のカメラはその日常に密着していました。

帰宅後、早速取り組む家族の洗濯。