RSKが自主制作した映画「青いライオン」のモデルであり、個性的な動物アートで人気の石村嘉成さんの絵画展が神奈川県で始まりました。関東では初めてとなる本格的な個展にのぞみ、石村さんは亡き恩人に思いを馳せました。

(石村嘉成さん)「みなさんこんにちは。アーティスト石村嘉成です。やっと横浜まで来ました。最後までがんばります。よろしくお願いします。これで私の挨拶は終わります。ありがとうございました」

横浜で開幕した「石村嘉成展いきものたちのワンダーランド」です。自由な色彩をまとった動物たちが、会場を埋め尽くしました。

(来場者)
「迫ってくるような力強さっていうか動物の生きるエネルギーみたいな」
(来場者)
「すっごい元気な方だなと。(今も声が)そうですよね」

障害を個性に変えて活躍する嘉成さん。礎を築いたのが、手塩にかけて育て40歳の若さで亡くなった母親の有希子さんでした。

嘉成さんには、もう一人、今は会うことの叶わない大切な恩人がいます。その人が愛した作品が展示されています。

(父 和徳さん)
「こちらがそうです。嘉成の初期の頃の版画作品でロブスターなんですけどね。この中で添えている言葉の『負けないぞ、負けるな負けないぞ』は私に言っている言葉だという風に河島先生はおっしゃってました」

(嘉成さん)
「長い間、療育に通うことができました。これも大切なお母さんのおかげです。お母さん、河島先生、ありがとう。河島淳子さん」

河島さんは今年2月、83歳で亡くなりました。独自の信念に基づき、障害のある子の教育、すなわち療育を実践し、成果が注目され始めた矢先の訃報でした。

(トモニ療育センター)「手は膝!」

障害のある子も脳の傷ついてない部分を最大限に働かせれば、必要な知識を身に着けることはできる。河島さんは療育に取り組む覚悟を親に求めました。

(30年前のトモニ療育センター)
泣き叫び暴れる幼児療育を拒み、抵抗する子を抱き上げるのは若き日の河島さん。この幼児こそ、画家として成功をおさめた石村嘉成さんです。自閉症と診断されたのは2歳のとき。母親の有希子さんは河島さんの指導の下、厳しい療育を行いました。

(母・有希子さん)
「ここ!これ見て!ここ!!」
(泣きながら答える石村嘉成さん)
(有希子さん)
「そうそうそう!」
(河島さん)
「ここにあるのは、これヨダレ?」
(嘉成さん)
「毛です!これはね、あごのヒゲ」
(河島さん)
「あごのヒゲ?こんなにひっついているの?」
(嘉成さん)
「はい」

(記者)お会いになるのはお久しぶりなんですか?
(嘉成さん)「そうです」

河島さんの療育は厳しさゆえに批判を浴びることもありました。そんな時、河島さんの背中を押したのが嘉成さんの作品でした。

(河島さん)
「私が好きなのは『負けるな、負けないぞ』というね。あの言葉を思い出すと私の生き方に対してというか、絶対にやり遂げたいものがあるもんだからね、この自閉症教育というか、とにかくやりとげたいと思うし。だから『負けないぞ、負けるな』これだけで私生きているみたいな感じ」

(和徳さん)先生は、この「負けないぞ、負けるな」で療育をやって来られたと思うんですよ。先生の道を進んで本当に信念の方でしたから河島先生は。自らが手がけた療育の集大成ともいえる石村嘉成さんの活躍を河島さんはこれからも見守っています。

あす(12日)午後5時半からのTBS「報道特集」では、河島淳子さんが療育に捧げた人生を振り返ります。小林章子アナウンサーも出演します。是非ご覧ください。