「おれも命運が尽きたな」。戦艦大和で見張りから「敵機200機」と報告を聞いた男性は死を覚悟しました。80年前の4月7日、戦艦大和はアメリカ軍に撃沈されました。沈むゆく大和の渦に飲み込まれた男性は、大和の大爆発によって海上押し上げられ九死に一生を得ました。しかし、多くの戦友は大和と運命を共にしました。大和の最期に立ち会った男性の証言を改めて伝えます。(2021年3月の記事を再編集したものです。肩書き、年齢は当時のものです。)
深い海の底に眠る戦艦大和。1945年4月7日、鹿児島県沖で、アメリカ軍機の攻撃を受け沈没しました。乗組員3332人のうち、生き残ったのは、わずか276人でした。
大和の最期を知る男性が和歌山県にいます。西田耕吾さん(取材当時99歳)。大和から生還した数少ない乗組員の一人です。

和歌山県で小学校の教師をしていた西田さんは、1943年に徴兵され広島県の大竹海兵団に入団。その年の4月に大和に乗艦しました。
西田耕吾 さん
「大きいなと思ったな。大和で死んだら本望やと」

全長263メートル、世界最大の46センチ砲を従えた大和は「世界最強」「不沈艦」と謳われました。西田さんは船首にある菊の紋も磨いたといいます。
西田耕吾 さん
「綱でつないで、菊の紋のところまで行って磨くんよ」