故郷へ向いて家族と別れよ…「お母さん、さよならやぞ」

西田さんが初めて実戦を経験したのは、1944年のレイテ沖海戦でした。当時のことを書き留めたノートには、こう綴られていました。
西田さんの手記より
「大和の艦内放送。『天佑を確信し全軍突撃せよ』。血わき肉おどる。よしやっちゃる」

しかし、日本海軍は大敗。武蔵など戦艦3隻を失いました。戦況はますます悪化し、1945年4月1日、アメリカ軍は沖縄に上陸しました。その4日後の4月5日。大和に沖縄水上特攻が命じられます。

西田耕吾 さん
「全員、非番のものは、前甲板に集合や。ほんで『いまから沖縄に向けて、突撃する』と」
出撃にあたり、上官からあることを促されました。
西田耕吾 さん
「故郷の方向を向いて、家族と別れよと言われました。黙って(故郷の方を)向いてな。『おかあさん、さよならやぞ』と。それが最後の言葉やな」
そして1945年4月7日…。昼食を終えた西田さんは見張りからの報告に耳を疑いました。
西田耕吾 さん
「(敵機)200機って見張りが言うんや。あぁ、おれも命尽きたなと思った」