狙われた石炭運搬船
今回新たに入手した映像には、「前段」の様子も映っていました。映像は「潜望鏡」から撮られています。
映っていたのは「炭鉱施設」、「端島神社」。さらに島に停泊している石炭運搬船「白寿丸」の姿も確認できます。そして次の瞬間ー
「ドカーン」ー潜水艦からの魚雷攻撃の瞬間が記録されていたのです。

爆発し、慌てて逃げ惑う乗組員の姿も確認できます。この攻撃で白寿丸は沈没しました。
軍艦と間違えた?
実は、軍艦島には長くある“迷信”が残っていました。「島の形が軍艦に似ていたため、本物の軍艦と間違えられて撃たれた」という話です。
軍艦島・元島民 石川東さん:
「島そのものを軍艦とみて撃ったとかね、そんがん話もありよった」

しかし、アメリカ海軍の公式記録には明確に、「端島で石炭運搬船を発見し、これを攻撃した」と記載されています。狙われたのは最初から“島”ではなく“石炭運搬船”、日本の産業と暮らしを支える石炭そのものでした。
太平洋戦争末期、アメリカ軍は日本国民の生活を破壊して戦意を喪失させようと、貨物船を狙う作戦を展開。「白寿丸」もその一環として、標的となったのです。

軍艦島で魚雷を発射したのは、九州をパトロールしていたアメリカ潜水艦「ティランテ」。その行動記録には端島で石炭運搬船を見つけ攻撃したことが記録されていました。魚雷攻撃は周到な計算の上で行われたのです。
軍艦島も戦場だった
今、軍艦島周辺は観光船が行き交い、連日多くの観光客でにぎわっています。

観光客:
「昔作られたやつが今も残っててすごいなと思った」
「今見たら廃墟なんですけど当時ここに生活していた暮らしがあったんだなと思いました」
現地の観光ガイド:
「日本のここは最先端の島だったんですが実は今年の4月20日で誰もいなくなって51年目になります」

廃墟となった今も、唯一無二の風景が人々を引き寄せる端島、通称・軍艦島。しかしこの島の海も80年前は“戦場”だったことを、数十秒間の映像が伝えています。