落合監督や「餃子の王将」とのつながり
プロ野球のキャンプの取材も思い出深い。毎年2月になると沖縄でキャンプをする横浜DeNAベイスターズ、北海道日本ハムファイターズ、中日ドラゴンズの取材に行くのが恒例なのだが、ドラゴンズでは毎回、落合博満監督が1時間近くも、みのさんのインタビューに応じるのだ。
マスコミ嫌いで有名なあの落合監督がなぜ?みのさんによれば、落合監督の背番号66にちなんで、監督が好きな秋田県の日本酒を66本贈っていたのだという。その日本酒には全て、落合博満の名前で「のし」がつけられていた。監督が世話になった人たちにプレゼントできるようにする粋な計らいだ。
みのさんはグルメで知られるが、実は牛丼やペヤングの焼きそば、たこ焼き、餃子などのB級グルメも大好きだ。放送後に「おいしい!」と言って食べる、みのさんの顔がいまも浮かぶ。
「餃子の王将」で開かれる飲み会も楽しかった。水道橋店にだけ飲み放題コースがあり、生放送終了後の午前中からスタッフ50人以上が集まり、大宴会が始まる。そこには必ず王将の常務が立ち合って大サービスをしてくれた。
宴会の最後には当時の王将の大東隆行社長とみのさんの生電話が恒例だった。王将が北海道に進出すると聞いたみのさんが、東日本大震災で自衛隊が奮闘したのを念頭に「自衛隊員が腹いっぱい餃子を食べられる店を作ってください」と話すと、木村社長は「はい、すぐにやります」と応じ、実際に自衛隊基地のすぐ近くに店が作られたのだった。
その後、木村社長が殺人事件で命を落とし、みのさんは驚き悲しんでいた。宴会の時に、いつも立ったまま我々を見守ってくれていた渡邊直人常務は事件の後、王将の社長に就任した。
みのさんが銀座のクラブをはしごする理由
みのさんが銀座のクラブを一晩で何軒も回るというのは、よく知られることだが、何軒も回る理由があるのだ。
ある時、みのさんから聞いた話。「○○さんからバランタイン30年が30本も届いたよ」。某大手芸能事務所の“偉い方”から贈られてきたのだという。
バランタイン30年といえば、1本10万円もするブレンデッドスコッチの最高峰で、みのさんの好きなお酒の1つだ。その“偉い方”は銀座にクラブを経営していて、みのさんはお返しのために、はしごする店の1つにしていた。
銀座のクラブでお酒を飲んでいて、いい時間になると、必ず妻の靖子さんから、みのさんの携帯に電話がかかってくる。翌日の放送を考えて、帰る時間も計算してくれていたのだ。
みのさんの手に“熱湯かけ事件”
お酒にまつわる失敗談も、数えきれないほどある。中でも一番は、みのさんに熱湯をかけてしまうという“事件”だ。
私がチーフプロデューサーになったとき、みのさんが行きつけの日本橋にある看板のないカウンターだけのステーキ店でお祝い会を開いていただいた。みのさんはいつもカウンターの一番左端の席に座るそうだ。昔、白洲次郎が座っていた席だとか。
その店では、焼酎の「神の河」を4、お湯が1の割合にしたお湯割を飲むのが恒例で、不思議とアルコールの強さをあまり感じずに飲めてしまう。みのさんにつがれるままに飲んでいると、途中からぷっつりと記憶がなくなってしまった。
翌朝、二日酔いで出社すると、上司から「お前、みのさんに熱湯かけたの覚えてないのか!」と驚かれた。どうやらお湯で割る役割を自ら申し出て、グラスに注がないといけないのに、グラスを持つみのさんの手に熱湯をかけてしまって大騒ぎになったらしい。
午前4時、みのさんは右手を包帯でぐるぐる巻きにして「痛い、痛い」と言って現れた。放送中に包帯を見せて、「これ武石ってやつにやられたんです」と言ったもんだから、私の親父から「お前何したんだ」とびっくりして電話もかかってきた。
火傷は靖子さんが馬油を丁寧に塗った効果もあり、ひと月後にはきれいに治った。私が靖子さんに「みのさんの手にお湯をかけてしまい、申し訳ありませんでした」と言うと、「あの人はお湯をかけるくらいがちょうどいいのよ」と言ってくれた。その後、みのさんが私に無理にお酒を勧めることが少なくなったのだけは幸いだった。