テレビ界で一世を風靡したみのもんたさんが亡くなった。TBSテレビにおける冠番組『みのもんたの朝ズバッ!』で、約6年にわたってプロデューサーをつとめ、その後も公私で親交があった武石浩明氏が追悼文を寄せ、みのさんの知られざるエピソードを明かした。
約半年前に傘寿をお祝いしたばかりで…
「TBS時代は僕にとって最高の時代でした。スタッフにも恵まれ、いい番組に恵まれ、そして僕は僕なりのいい終わり方をさせていただいたと思っています。皆さんと楽しい思いをできたことを非常にうれしく思っています」
去年8月30日、この前の週に80歳を迎えたばかりの、みのもんたさんの傘寿のお祝い会が、東京・赤坂のレストランで開かれた。『みのもんたの朝ズバッ!』の出演者やスタッフが集まり、みのさんはとても楽しそうにしていた。

このわずか半年余りあとに、まさか永遠のお別れをするとは…。3月1日、みのさんが亡くなった。
一世風靡から一転、そのときみのさんは…
みのさんといえば、TBSの歴史に残る『どうぶつ奇想天外!』『学校へ行こう!』などのほか、民放全局に大ヒット番組を持つレジェンドだ。
2005年にTBSの情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』が始まると、「一週間で最も長時間テレビの生番組に出演する司会者」としてギネス世界記録™にも認定され、同年、第56回紅白歌合戦の司会も務めた。
『朝ズバッ!』は、みのさんの人生を変えた“運命の番組”だった。2006年10月、『朝ズバッ!』の世帯視聴率は、ついに週平均でトップとなり、番組がきっかけで政治が動く「みのポリティクス」という言葉まで生まれた。
しかし、2007年、いわゆる“不二家問題”が起きる。発足したばかりのBPOの放送倫理検証委員会が初の見解を出すことになる不祥事をきっかけに、視聴率も下落。こうした中、私は『朝ズバッ!』の担当となった。
NHKが朝の連続テレビ小説の放送開始時間を15分早めて8時にしたことも痛かった。『朝ズバッ!』のメインコーナーである「8時またぎ」で視聴率を伸ばせなくなったのだ。何をやってもうまくいかない時が過ぎていく中、みのさんに番組内容を変えてみたいと、私は相談した。そのとき、みのさんが一拍置いて語ったのは…。
「武石、とらやの看板見たことあるか?」
老舗和菓子店の「とらや」は室町時代後期に創業したとされ、400年以上の歴史がある。その看板は創業以来のもので、右から左にとらやと書かれている。
「『朝ズバッ!』の看板は何だ?」と、みのさんは問いかけた。番組の看板は、「8時またぎ」コーナーの際に、みのさんが回転させる特大の「またぎボード」だ。みのさんは「それ以外、徹底的に変えろ」と言った。

それまで番組の売りだったのは、公費の無駄遣いなどを厳しく追及し、みのさんが社会の不正を正すことだった。しかし、番組への信頼が失われたとき、同じことをしても視聴者の共感は得られない。むしろ、みのさんの魅力を視聴者にわかってもらう工夫が制作サイドに求められていた。