スタイリストで有能な秘書…妻・靖子さんとの思い出
靖子さんが亡くなった日のことも忘れられない。毎回、放送が始まると、靖子さんはサブ(副調整室)にいる私に電話をかけて来て、衣装のここを少し直してほしいなどの指示をするのがいつものことだった。それが「2、3日電話がないな」と思っていた2012年5月22日、放送中にみのさんが誰かからかかってきた電話を受けた後、スタジオの脇で私たちに向かい話した。
「いま靖子が亡くなりました」。がんで入院し、闘病していたのだという。靖子さんは病室から衣装直しの電話をかけていたのだ。私は涙が止まらなかった。
私の手元に、みのさんが私たちを撮った数十枚の楽しい写真がある。ある年の夏、上司の藤原康延さん、高田直さんとともに、完成して間もない鎌倉山のご自宅に招かれたときの写真だ。
みのさんは私たちが玄関に現れたときから、ご自宅を去るまで写真を撮り続けた。靖子さんの美味しい手料理をご馳走になった瞬間や、みのさんの衣装室に入ったときの写真も。膨大な量のスーツとワイシャツ、ネクタイを、靖子さんは美しく整理していた。
靖子さんはスタイリストであり、みのさんの有能な秘書でもあった。みのさんも靖子さんも私と同じ立教大学卒業。みのさんは「おい、立教大学」と言って、私をかわいがって下さった。
一番好きな“幻のウイスキー”を喜んでくれたみのさん
2013年2月、『朝ズバッ!』がついに放送2000回を迎えたあと、私は異動となり番組を去った。それ以来、感謝のしるしとして、私は毎年、ニッカウヰスキーの「鶴」をみのさんに贈ることにした。

ニッカの「鶴」はNHKの連続テレビ小説『マッサン』のモデルになった竹鶴政孝氏の最高傑作とも言われ、みのさんが一番好きなウイスキーだった。しかし、皮肉なことに『マッサン』によるウイスキーブームで原料不足となり、「鶴」は2015年に終売となってしまった。
ところが、国内で一か所だけ密かに「鶴」が作られていたことがわかった。話は数年前にさかのぼる。
ニッカの「竹鶴」が、英国で開催される国際的ウイスキーコンテストで世界最高賞を受賞したとき、大のニッカファンで知られる、みのさんに「竹鶴」がひと樽プレゼントされた。授賞式の後、私とみのさんは竹鶴政孝氏の養子、2代目の竹鶴威氏とニッカのブレンダーらスタッフとともにお酒を飲む機会があった。
あのときのニッカの人たちに聞けば…。私の狙いは的中し、ある工場だけで「鶴」が作られていることがわかった。特別に送ってもらい、みのさんに届けたら、すぐに電話がかかってきた。「武石、どこで手に入れたんだ!もったいなくて香りだけかいで、顔に塗ってるよ」と、冗談も交えて大変喜んでくれた。
去年の80歳のお祝いにも、みのさんにニッカの「鶴」を贈ることができた。そして、みのさんが大好きだった出演者やスタッフを集めて傘寿のお祝いもできた。「来年も誕生会やりましょう」とみんなで話したが、それはかなわなくなってしまった。
私が尊敬してやまないみのさん、心からご冥福をお祈りいたします。
〈執筆者略歴〉
武石 浩明(たけいし・ひろあき)
1967年4月生まれ
1991年 TBS入社 朝の情報番組『モーニングEye』担当
1994年 報道局 夕方ニュース番組『ニュースの森』ディレクター
その後、社会部の「警視庁担当」、「司法記者クラブ・キャップ」などを歴任
2008年 朝の情報番組『みのもんたの朝ズバッ!』プロデューサー
2009年 同『みのもんたの朝ズバッ!』チーフプロデューサー
2013年 報道局 夕方ニュース番組『Nスタ』チーフプロデューサーなどを経て
2016年10月 報道局社会部長
2020年7月 報道局担当局次長
2022年7月 株式会社チューリップテレビ現職出向
2024年7月 TBSスパークル取締役
【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版のWebマガジン(TBSメディア総研発行)。テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。原則、毎週土曜日午前中に2本程度の記事を公開・配信している。