【琉球王国】
・もっとさかのぼって言えば、明治政府の廃藩置県は明治4年(1871年)でしたが、その4年後になって、明治政府は琉球王国(琉球藩)を「沖縄県」としました(1875年)。本土では、これを長く「琉球処分」と呼んでいました。王の逮捕権まで織り込んでいた、武力による併合です。「琉球処分」という言い方自体が、無礼極まりない。本当にごめんなさい。
・にも関わらず1880年に、当時の中国(清国)に対して、明治政府は宮古・八重山諸島を譲り渡す案を出しているんです。中国大陸で欧米並みの商売ができることと、引き換えでした(「分島・増約案」と言います)。本土の商売のために、沖縄県の西半分、宮古・八重山諸島を中国に売ろうとしたのです。本当にごめんなさい。
・さらにさらにさかのぼれば、江戸時代初め(1609年)には、薩摩が琉球王国に攻め込んで、長い間支配下に置きました。搾取をずっと続けてしまって、本当に「沖縄のみなさんに本土からごめんなさい」と言いたいです。
◆沖縄の高校生が学んだ『琉球・沖縄史』
長い歴史がずっとこうやって続いてきました。このことを、私は歴史学を学んできたので考えるんです。沖縄米兵少女暴行事件(1995年)の後に、こんな本を買いました。高校の副読本です。

沖縄歴史教育研究会 新城俊昭著『高等学校 琉球・沖縄史』
編集工房東洋企画・1997年刊
(神戸・註)放送では、新城(あらしろ)俊昭さんを「しんしろ」と言ってしまいました。大変すみません。
沖縄から見る、日本本土の歴史。豊臣秀吉、島津斉彬……、沖縄に対してどういう態度でいたか、が出てきます。日本史を裏から見るとこんな風に見えるんだ、とよくわかります。琉球・沖縄について考えることは、日本本土を考えることにもつながるし、沖縄にかけられた負担とか、長い間の搾取とか、自分の身に置き換えて考えられるようになるのではないでしょうか。本当にいい本で、知らなかったことがいっぱい書いてありました。
1冊の歴史副読本で、明治以降だけで半分以上を占めているのは「琉球処分」(沖縄併合)以降の苦難の道があったと思うんです。もちろん、琉球王国時代には封建制度のマイナス点がいっぱいあったので、明治維新と同じように、どこかで崩れなければいけなかったかもしれません、しかし、やはり「沖縄の皆さんに本土からごめんなさい」という気持ちが強くあります。
◆諦めという名の鎖をよじってほどく
歴史上失礼なことを重ねてきてしまった私たち。この歌を聞いてもらおうと思います。私は、沖縄の運動に携わっている方のことを、こんな風に思っています。














