来季のマラソン挑戦を見据えてのハーフ
今大会男子の有力選手は、得意種目が異なる点が面白い。細谷恭平(29、黒崎播磨)はマラソン、古賀淳紫(28、安川電機)はハーフマラソン、そして伊藤は10000mで実績を残してきた。
大学4年時に全日本大学駅伝2区(11.1km)区間賞、相澤とのデッドヒートが“ランニングデート”と話題になった箱根駅伝2区(23.1km)は区間2位。学生駅伝で活躍したが、日本のトップに躍り出たのはHonda入社1年目の日本選手権10000mだった。そのときも相澤にデッドヒートの末に敗れたが、27分25秒73の日本歴代2位(当時)をマークした。
21年5月の日本選手権には27分33秒38で優勝し、同年の東京五輪代表入りを決めた。そのタイムはセカンド記録の日本最高(当時)で、同年11月には27分30秒69で走り、セカンド記録とサード記録の日本最高記録保持者になった。22年オレゴン世界陸上にも出場し、トラック長距離のトップ選手としての評価を不動のものとした。
23年のブダペスト世界陸上と、24年のパリ五輪は代表を逃してしまった。しかし24年は日本選手権5000mを初制覇。13分13秒56は日本歴代7位の好記録だった。東京2025世界陸上は5000mで狙う可能性もある。故障の影響もあり11月の東日本実業団駅伝を欠場。元日のニューイヤー駅伝も3区で区間8位と、会心の走りには遠かった。「1年前のニューイヤー駅伝3区も序盤にスピードを上げられませんでしたが、今年も同じ失敗をしてしまいました。後半は粘ったと思いますが、前半でリズムに乗れず、タイムを稼ぐことができませんでした」そこから1か月で絶好調宣言ができるまでになった。どんなトレーニングがそれを可能としたのだろうか。
「今回のハーフマラソンは、来年のマラソン出場を視野に入れて、その準備も兼ねています。徳之島と奄美の合宿では、マラソン組と一緒に距離を踏みました。月間でいうと1000kmを超えるくらいです」メニューとしては「起伏をかなり使った」ことが、良い状態につなげられたと感じている。「徳之島で起伏の多いコースで走り込み、クロスカントリーで不整地を走って動きを整えました」昨年5000mの自己新を大幅に更新した。ハーフマラソンに向けて距離を踏むことで、両種目の間の10000mも期待できる。今年の東京2025世界陸上は、種目は「5000mか10000mか決めていない」が、トラックで狙う最後の世界大会にする予定だ。
ハーフは「新参者」と言う伊藤の心意気
伊藤の競技に対し一直線なところは、話を聞いていて気持ちが良い。24年シーズンは「5000mの日本選手権優勝とハーフマラソンの日本記録」を目標に設定した。「1つは達成したので、もう1つのハーフマラソン日本記録更新を、今回なんとしても達成したいですね」。目の前の目標を変えない姿勢は、自身の目指すべきところを明確にしているからだ。その気持ちが強ければ、練習でやるべきことも見えてくる。
ここまで順風満帆だったわけではない。高校から大学時代前半は全国的な活躍はできなかった。無名選手だったと言っていい。高校で競技をやめる選択肢もあったが、そこで続ける覚悟を決めてからは、常に格上の選手に向かって行く姿勢を続けてきた。トラックの実績では参加選手中、伊藤が頭1つ抜けている。だがハーフマラソンは大学4年時の箱根駅伝予選会以来。ニューイヤー駅伝でもハーフマラソンと距離が近い距離(区間距離が変更される前の4区22.4km)を走ってきたが、区間賞はない。「ハーフでは新参者です」と話したが、常に挑戦する気概で取り組んできた伊藤のスタンスが表れているコメントだろう。
伊藤が考えているペース設定を紹介したが、レース展開の仕方も隠そうとしない。「5kmまでは様子を見ますが、誰も(速いペースで)行かなければ自分で行きます。遅かったらガンガン行きますよ」トラックでも先頭を積極的に走ってきた。集団の後ろの方で走るのは、挑戦する姿勢で強くなってきた伊藤には相応しくない。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)

















