1950年4月7日、東京都豊島区にあったスガモプリズンでBC級戦犯として死刑執行された成迫忠邦は、まだ26歳の元海軍下士官だった。こどものころから母の真似をして仏像に手をあわせていた成迫は、スガモプリズンに囚われた後も、教誨師の指導を得て信仰を深めていた。いつ執行を告げられるかわからない死刑囚の生活の中で、いざその時を迎えたとき、平常心で絞首台に向かうだけの覚悟を成迫はどうやって身につけたのか。死を目の前にして成迫が自らの信仰体験について書いた文が残されていたー。
◆何人といえども悩みは絶対とれない

スガモプリズンの二代目教誨師、田嶋隆純が「わがいのち果てる日に」に収録した成迫忠邦の宗教体験。1950年4月7日、石垣島事件の7人の死刑執行が、スガモプリズン最後の処刑となった。しばらく死刑執行がなかった上、一度に7人が処刑されたことで、所内には相当な衝撃が走ったようだ。田嶋隆純にとってもこの7人は忘れがたい人々だったようで、井上乙彦、井上勝太郎、榎本宗応、幕田稔、田口泰正、成迫忠邦、藤中松雄の7人全員の遺族から了承を得て、遺書の中から本に掲載した。このうち成迫忠邦が最年少だ。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
田嶋隆純編著「わがいのち果てる日に」(大日本雄弁会講談社1953年・講談社エディトリアルより2021年復刊)より
肉身のある以上何人といえども悩みは絶対とれない。しかしそれに倒れてはいけない。その悩みに左右されてもいけない。そのためには有限の生命なる自己の一切を無限の生命に託してその大いなる力によって生活することがどうしても必要になってくる。私達が幾分でも仏に近づき真理を探究すると、おのずから自己の力の余りにも弱いのに驚き、偉大なる力に総てを捧げずにおれなくなるのである。ここに宗教の本領がある。自分自身を否定することはややともすれば厭世感が起こり勝ちであるが、その否定することによって真の自己を把握することができるのである。
◆人間として最大の恐怖は死

成迫に死刑が宣告されたのは、1948年3月16日。それから執行まで2年あまり。成迫はどんな苦しみを味わい、気持ちを落ち着かせるに至ったのか。
(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
一体人間として最大の恐怖は何か。それは死である。生きたい、飽くまで生きねばならないということが人間最大の本能であるからだ。私は極刑の宣告によって人間のもつ最大の本能を切断され、最も恐ろしき死に直面させられた。判決当初、私はこの死に悩み、死と過去の生活、希望等のあらゆる感情が錯綜して、立っても居てもいられぬ苦しみを味わった。
昼間は読書をしたり英語の勉強をしたりして、どうにか心を紛らわすことができたが、夜周囲が静まり、枕に頭をつけると、昼の間紛れていた心痛苦悩が再び浮かび上がり、苦しさの余り転々と寝返りを続け、その恐怖の猛威に悶えたのであった。私は自然にこの煩悩に打ち勝つべき他の何ものかを求めるようになった。これが二、三ヶ月も続いたであろう。
◆信仰に目覚めたきっかけは「永遠の生命」

(若き世代への勧告―信仰と幸福― 成迫忠邦)
その後友人と讃美歌を歌ったり読経したりしたのが、その間は何もかも念頭から去り三昧の境に入っていても、止めると煩悩はますます自分を苦しめ、揚句の果ては神を怨み仏をなきものにし、自暴自棄にさえなりかけたのだった。それに耐えきれず絶対の力にすがろうとするが、見出し得ず、遂にはまたも世の中には神も仏もあるものか、こんなものは人間が勝手にきめたもので絶対ないとまで思った。
また若し神や仏があったならば、この自分をこんな境遇に陥れる筈もなく、仮に何かの間違いにしてもかくまで俺を苦しめるのかと思うとき、一切が信じられなかった。ただ朝夕、故郷の老母や縁者に詫び、感謝を捧げることによって心を慰めていたのである。私はかくて絶望のどん底に叩き落とされていたのであるが、計らずも或る日、友人から永遠の生命というものについて話を聞き、私は今までの自分の考えに大きな疑問を抱いた。これが後日、私が信仰に目覚め心の平和を得る機縁になったのであった。