「遠因死」念願だった店が半壊 急死した美容師

百々沖子さん

百々沖子さんは、雇われ美容師として働いていたが独立し、念願だった自分の店舗を構えた。しかし、震災で店は半壊。心身に不調をきたし、精神科にも通いながら細々と店を続けたが、翌年に急死した。姉は語る。

「モニュメントに銘板を掲げることができれば、神戸を愛した妹の魂も安らかになるのではないかと思いました」

百々沖子さんの姉が銘板掲示を申し込んだ際に記入したシート

阪神・淡路大震災の発生から30年が経った。生々しい記憶から、“歴史”に変わる段階に入ったという声もある。しかし、あの震災で“人生を奪われた”人々の無念や、残された遺族の悲しみは、いまなお癒えることはない。それは、「6434」という無機質な数字の内にいるか外にいるかにかかわらずであり、モニュメントに掲げられた銘板は、そうした数字を越境し、喪失の涙や遺族の超克を未来に刻む、かけがえのない存在となっている。