参院選の遊説中に銃撃されて亡くなった安倍元総理の国葬が日本武道館で行われました。戦後の国葬は55年前の吉田茂元総理以来2例目、果たして今回の国葬と前回の国葬…違いはあったのでしょうか?
■吉田元総理の国葬とどう違う? 55年前の式壇はバラと菊
良原安美キャスター:
安倍晋三元総理の国葬は55年前の吉田茂元総理以来の国葬ということで、ここからは55年前の国葬と、どういうふうに違いがあるのかというのを見ていきたいと思います。

まずは式壇の違いからです。
▼安倍元総理の式壇
政治家としての軌跡を、まっすぐと花を並べることで表現しています。さらに、雪化粧した美しい日本の山々を表現したということです。
▼吉田元総理の式壇(1967年)
式壇・献花のために用意された菊の花は約8万本。納骨台の周りには、吉田元総理が大好きだった白いバラが添えられていたということでした。
井上貴博キャスター:
私たちにとっては初めて国葬というものを目の当たりにしたわけですけど、だからこそ安倍元総理を弔うという気持ちとともに、日本に国葬ってどういう基準であるべきなのかっていうのを、今まで考えもしなかったものを向き合わなければいけないなと感じた日でもあったのかなと思います。
米イェール大学助教授 経済学者 成田悠輔氏:
さらに吉田茂さんの国葬のときも、当時の首相がかなり電光石火で国葬をやるってことで、費用その他について似たような議論とか賛否両論が沸き起こったみたいなんです。そう考えると、同じような問題が半世紀以上経ってもう一度繰り返されているという部分もあるのかな。さらに式壇の写真を見たりすると、葬式のやり方っていうのもあまり大きく根本的には変わってないんだなと思って。人間とか社会とか、そして国葬のやり方というのも意外に半世紀経っても変わっていないということを改めて痛感させられてるっていうところなのかなと思いました。
■国民の弔意は… 55年前は職場やスーパーなどでも黙とう
良原キャスター:
式壇以外にも2つの国葬について少し違いがありましたので、見ていきたいと思います。

▼安倍元総理の国葬
国葬の式典に先立ちまして、27日安倍元総理の自宅前では、自衛隊の儀仗隊の約20人が敬礼するということがありました。そして今回の国葬では、国民1人1人には弔意を求めませんでした。

▼吉田元総理の国葬(1967年)
神奈川・大磯町の吉田元総理の自宅には、儀仗隊だけでなく、演奏隊の姿がありました。多くの人が集まる中、遺骨を乗せた車は武道館に向けて出発します。道中でも多くの人が一目見ようと、沿道に集まっていました。そして、当時国民に弔意を求めたということで、午後2時10分には、街中で黙とうする人の姿もあったんです。仕事中の職場でしたり、他にも買い物中のスーパー、子供たちも黙とうをしていました。