祝福なき日本一の栄光

林田さんは1991年、小浜高校で当時長崎の県立高校では初となるボクシング部を創設。2010年再び小浜高校に赴任し、2014年に行われた長崎国体では林田さんの教え子を中心とした長崎県チームをボクシング競技総合優勝へと導きました。

しかし、日本一の栄光に輝いたのは林田さんが「公務災害の虚偽申請」を疑われ、県教委から追及を受けていた頃でした。

血のにじむような努力の日々を積み重ねつかみ取った日本一の栄光。でも応援や祝福に来た長崎県関係者は誰もいなかった―林田さんは唇をかみしめます。

林田耕二元教諭(63):
「選手も監督もボクシング連盟も一丸となって奇跡を起こした。でも『お疲れさん』も『よかったね』もない。長崎のために戦った彼らに、今でも遅くないから一言でも『あの時は本当にありがとう、頑張ったね』と言ってもらいたい気持ちが今もあります」

夢を取り戻したい

国体優勝の翌年に言い渡された懲戒免職処分。当時高校生の娘2人をもつ父だった林田さん。娘から「お父さんはもう教員になれないのか、戻れないのか」と泣かれたといいます。

ボクシング連盟からも除名されました。汚名を返上するために駆け込んだ弁護士事務所。「費用は考えなくて良いから」と生活面でも精神面でも支えてくれた弁護士。手を差し伸べてくれた設備会社で働き、2人の子どもを何とか大学に行かせることができたと語りました。

林田耕二元教諭(63):
「私の主張が正義であった。事実であると認めていただいて、とても嬉しく思います。ぜひ再任用で教師に戻りたい」

「教師は今も夢の仕事」と語る林田さん。損なわれた名誉と戻らない9年間。県教委が懲戒免職処分が取り消した場合、林田さんは再任用の選考を受けることができるということです。