丸紅のキーマンら逮捕

ロッキード捜査が佳境を迎えた7月。本丸に迫る特捜部の一連の動きを時系列で見ていこう。

7月2日、特捜部はそのワイロを実際に渡した当事者である丸紅・伊藤専務を逮捕した。
(贈賄、外為法、偽証で有罪確定)
伊藤専務の取り調べには、当時33歳の若手検事、松尾邦弘(20期)が抜擢された。
松尾の取り調べに対し、伊藤は、ロッキード社が用意した金を受け取るたびに“ピーナッツ”領収書に署名したことや、ワイロの「5億円」は「4回」に分けて渡したことなどを供述した。

「1回目は、ロッキード東京支社でクラッターから1億円入りの段ボール箱を受け取り、その後、田中総理の榎本秘書に連絡して、イギリス大使館裏手のダイヤモンドホテル近くの路上で渡しました」
「現金は、田中総理が地位を利用してトライスターを全日空に売り込んでくれたことに対するお礼として渡すもので、後ろめたい金であることは承知していました」
(公判記録より)

また檜山会長からの具体的な指示についても自供した。

「檜山から、どうしても全日空にトライスターを売り込みたいので、田中総理に頼むのはどうだろうと聞かれました」
「金を総理に渡す役を、大久保君と相談しながらやってくれ。総理から榎本秘書に話がいってるはずだから、彼と連絡をとって受け渡しをするようにと言われました」
(公判記録より)

7月6日、ロスの堀田が、長い交渉の末、ロッキード社幹部の「嘱託尋問」にこぎつけた。
「刑事免責」により罪に問われないことが決まったため、コーチャン副会長やクラッター日本支社長は、事件の詳細を語り始める。

「1972年8月21日に、丸紅の檜山社長(当時)と会い、田中総理(当時)に「トライスター」の全日空への売り込みを頼んだ。成功させるには『5億円』のカネが必要だと丸紅の大久保専務(当時)から言われた。カネの支払先は田中総理である」
(コーチャン「嘱託尋問調書」より)

7月8日、特捜部は全日空ルートの本丸、若狭・全日空社長を偽証容疑と外為法違反で逮捕(有罪確定)した。
7月9日、堀田はクラーク検事らの協力で、コーチャンらへの「嘱託尋問」を終了した。
これにより、特捜部はコーチャンらの「嘱託証人尋問調書」を入手することに成功した。

7月13日、特捜部は丸紅のトップ、檜山会長(当時は社長)を外為法違反で逮捕した。(贈賄罪、外為法、議院証言法違反で有罪確定)
檜山会長の取り調べにあたったのは吉永が、横浜地検から呼び寄せた安保憲治検事(8期)だった。

公判記録などによると、檜山会長は当初、安保検事に対して挑発的な態度をとっていた。

「すぐ釈放してくれ、何の証拠があっておれを逮捕したのか」
「インテリのエリートに何がわかるのか」

しかし、安保が自らの過去を語るうちに、檜山の態度は変わり始めた。

安保は秋田県の農家の生まれで、木こりや炭焼きをやった後に上京し、苦学して司法試験に合格した人だった。檜山は次第に心を開き、ついには田中元総理への「5億円」の贈賄について容疑を認めた。

檜山会長の供述により、1972年8月に檜山が東京・目白の田中邸を訪問し、航空機トライスター売り込みの請託をした際に、田中元総理が「よっしゃ、よっしゃ」と了承していたことも明らかになった。5億円のワイロ授受の構図が浮かび上がり、捜査は大きく前進した。

田中角栄元総理大臣を任意同行する松田昇検事(15期)1976年7月27日