「クラーク検事はほとんど泣いていた」 

東京地検特捜部が田中逮捕の着手日を決定したのは、逮捕のわずか4日前だった。
情報はマスコミにも永田町にも漏れることなく、厳重に管理されていたのだ。
そして、その運命の日が、近づく。

7月23日(金)
特捜部は「Xデー」を7月27日と定め、田中逮捕に向けて水面下で具体的な準備を始める。

7月24日(土)
「検察首脳会議」において、田中元総理を外為法違反で逮捕する方針が正式に確認される。
同時に、最高裁判所はコーチャンらの「刑事免責」を保証することを決定。これにより、逮捕への障害はすべて取り払われた。

7月26日(月)
検察は法務省を通じて田中元総理逮捕の方針を、稲葉法務大臣に報告。
三木総理と共に真相究明を推し進めていた中曽根派の稲葉は「指揮権発動」による「逮捕阻止」はせず、逮捕を了承した。稲葉とほぼ同時に三木総理にも伝えられた。

7月27日(火)
「Xデー」到来。
午前6時半、東京・目白。松田検事と特捜部資料課長らが田中邸に向かい、田中角栄元総理大臣を東京地検に任意同行した上で、外為法違反の疑いで逮捕した。
(後に外為法と受託収賄罪で起訴)日本政治史に前例のない瞬間だった。

ロスにいた堀田検事は、吉永検事からの電話で逮捕の一報を受けた。

「これから田中を逮捕する。松田検事が田中宅に入った」
日本時間午前6時半。ロスではまだ前日の午後2時半。

堀田検事はすぐさま、捜査に協力してくれた司法省のクラーク検事に電話を入れた。
「ほんとうに田中を逮捕するのか」と尋ねるクラーク検事に、堀田検事は「ほんとうに逮捕するんだ」と告げた。

「クラーク検事はほとんど泣いていた。よくここまでやったと」(堀田)

田中角栄元総理大臣

総理大臣経験者が贈収賄で逮捕されるという前代未聞の事態は、日本中を激震させた。
運輸族の有力議員だった橋本登美三郎元運輸大臣、佐藤孝行元運輸政務次官も全日空からの金銭授受を理由に受託収賄罪で起訴されたほか、田中元総理の“刎頚の友”小佐野賢治・国際グループ創業者も偽証罪で起訴された。
ロッキード事件では被告16人、取り調べを受けた関係者は400人を超えた。

その後、田中元総理は一審、二審で「懲役4年、追徴金5億円」の実刑判決を受けるが、上告中の1993年12月に死去した。最高裁は1995年2月、共犯とされた榎本秘書の有罪判決の確定をもって、田中元総理が「5億円」を受け取った事実を認定した。

さて、田中元総理逮捕から4か月後の1976年10月4日。季節は、夏から秋へと静かに移り変わっていた。
この日、TBSニュースは、東京地検特捜部の堀田検事と東条検事が、パンアメリカン航空機で帰国したことを伝えた。
2人は田中元総理逮捕後もロスに残り、引き続きコーチャン副会長やクラッター日本支社長の追加尋問を行っていたのである。

羽田空港に降り立った堀田の表情は、固く引き締まっていた。
待ち受けていたのは、その後、16年という長期にわたるロッキード裁判だった。

(つづく)

TBSテレビ情報制作局兼報道局
「THE TIME,」プロデューサー
岩花 光

参考文献
堀田 力「壁を破って進め 私記ロッキード事件(上下)講談社、1999年
奥山俊宏「秘密解除 ロッキード事件」岩波書店、2016年
坂上 遼「ロッキード秘録 吉永祐介と四十七人の特捜検事たち」講談社、2007年
山本祐司 「特捜検察物語」(上下)講談社、1998年
NHK「未解決事件」取材班「消えた21億円を追え」朝日新聞出版、2018年