ロシアを代表する民芸品・マトリョーシカ。定番は可愛らしい女の子だが、「歴代指導者」を描いたものも土産品として人気がある。一番外側がプーチン大統領、開けると前任のメドベージェフ氏が入っていて、続いてエリツィン氏。さらに中に入っているのが、8月30日に死去したゴルバチョフ・元ソ連大統領だ。
9月5日、北方領土の元島民らによる「ビザなし交流」について、ロシア政府が日本との協定を一方的に終了すると発表した。このニュースを耳にした時、なぜか頭に浮かんだのはこのマトリョーシカだった。ゴルバチョフ氏の進めた「ビザなし交流」の歴史をプーチン政権がすっぽりと覆い隠してしまったせいかもしれない。
いまロシアが欧米との対立を一層深める中で、ビザなし交流の破棄やゴルバチョフ氏の死は、どんなことを示唆しているのか。北方領土の元島民と、長くソ連・ロシアを見つめてきた専門家に話を聞いた。
■「悪い人は誰もいない」“融和”の象徴だった「ビザなし交流」
私が歴代指導者のマトリョーシカを初めて見たのは2022年2月上旬。北方領土・歯舞群島の多楽島(たらくとう)の元島民、福沢英雄さん(82)を取材したときのことだ。今年は「ビザなし交流」30年の大事な節目。地元・北海道放送(HBC)の記者として、元島民の思いを聞いていた。当時はロシアがウクライナに侵攻しておらず、ここまで日ロ関係が悪化することは想像できていなかった。

ロシア人から贈られたマトリョーシカを見せてくれた福沢さん。感謝を込めた口調で「これがゴルバチョフさん。偉いのね。ロシア人には珍しい民主的な人でね。この人のおかげでビザなし交流が始まった」と語った。
ゴルバチョフ氏はソ連崩壊直前の1991年に来日し、翌92年から「ビザなし交流」が始まった。福沢さんは、北方領土に16回渡り、島に住むロシア人を自宅などで13回も受け入れてきた。自宅の裏にある「ロシア友好館」と名付けたプレハブには、民族衣装やバラライカなどロシアの友人から贈られた品々と、写真が大切に並べてある。
5歳の時に家族とともに多楽島から逃れた福沢さん。交流する前はロシア人を「恨んでいた」というが、「カチューシャ」や「トロイカ」を歌い親交を深めていく中で、「ロシア人の気風も分かったし、島に住んでいる人は悪い人は誰もいない。支配している人の考え方が間違っているだけだ」という思いに変わっていったという。
ビザなし交流は、ソ連・ロシアにとって経済支援を引き出したい思惑があったとはいえ、福沢さんとロシア人のような相互理解に大きく貢献した。取材者として、ビザなし交流は、西側諸国との融和を進めたゴルバチョフ氏の思想が象徴的に表された政策だったと感じる。


ところが、ロシア政府は9月5日、「ビザなし交流」に関する協定を一方的に終了する政令を発表した。ウクライナ侵攻に対する制裁への反発とみられる。福沢さんに電話をかけると、「いい感じで30年来て節目を迎える中で、マンネリ化しないようにやっていこうと、元島民同士でも話していたのに…」と悔しさをにじませた。日ロ関係は、ゴルバチョフ氏の時代よりもずっと冷え込んでしまったが、「それでも日本側が北方領土の返還をあきらめたとロシアに思わせてはいけないんだ」と返還に向けた交渉の継続を訴えた。