「体を動かすのが大好きだった」という赤松選手。中学時代には、こんな場面もあったといいます。

(赤松咲香選手)
「中学校の三者面談でも先生には、『ボートレーサーにならせます』というふうに(父が)ずっと言っていて、でも私は看護師になりたいっていう気持ちがあったので、『いや、看護師になります』って言って。その会話を毎回三者面談でしていて、(私が)『看護師になる』って言っているときにも、横で『ボートレーサーの道もあるんだよ』と(父に)ずっとささやかれていました」
父の希望、「ボートレーサー」でなく「看護」の道に進もうとした赤松選手。背景には、母・弓子(ゆみこ)さんの存在がありました。

(赤松咲香選手)
「母が、私が小学校6年生ぐらいの時に病気にかかりまして、中学2年生の時に他界してしまったんですけど、その間に支えてくださった看護師さんとかに憧れを抱いて、私も人を助けられるような人になりたいなと思って、看護師を目指すことを決めました」