海野秀男被告のスケッチ(11月 札幌拘置所)

海野秀男被告(88)
「悪いことさえしていれば、金はできたから抜けられなくなった。まともな仕事はしたことがない」

■戦後の混乱期、ヤクザになった兄の影響も…
福岡県で4人兄弟の末っ子として生まれた海野被告は終戦後、家族で静岡県に移り住みました。実家は静岡市内で和菓子店を経営し、比較的裕福な家庭だったといいます。しかし、当時の日本は戦後の混乱期。治安の悪化などの影響は海野被告の家庭にも及びました。

海野秀男被告(88)
「戦後まもなくで、町でも働くところがない、殺伐とした時代だった。兄がヤクザになって家庭内がごたごたして。兄は足のくるぶしまで墨を入れていた」

面会室の天井を見上げ、「兄の影響もあったと思う」と振り返る海野被告。その表情はどこか寂しそうにも見えました。

13歳で実家を出て、不良仲間と上京。上野の地下道で寝泊まりをし、公営ギャンブル場や、築地市場などで“スリ”を繰り返して生活するようになっていきました。

人生で初めて矯正施設に入ったのは13歳の時。施設の中で知り合った非行少年や暴力団関係者との繋がりが、犯罪を繰り返す悪循環につながったといいます。

海野秀男被告(88)
「自分の住んでいる社会には、まじめな人間なんて1人もいない。だけど悪いことをする奴らは、仲間に対して男気があるやつが多い。それを恩に感じて、何とか“楽”させてやろうという気持ちになって盗みをした」