ドラマ作りに必要なもの

武:つくづく思うんだけど、あたしたちの仕事は野球選手みたいなもんだな。清原みたいに親分、ボスを気取ってるやつとか、もう絶えず人に気兼ねしてるやつとか、いろいろいる中で、じーっと戦況を見ていく。ホークスの城島とか若いのによく全体見てやっていくなって。

ああいうの見てるとドラマ作ってるみたいな気がする。工藤とか若いピッチャー、いいピッチャーがみんないなくなっちゃう。お金をたくさん出す巨人に行っちゃう、若田部もいなくなっちゃった。その時に城島が、若いやつと一生懸命やってるのを見ると、もう拍手を送りたくなるね。

自分が九州で仕事してたときのこと思い出して。キャッチャーよ。キャッチャーだけどホームランも打つっていう状態じゃないと仕事できないじゃない、何でも持ってらっしゃいっていう状態じゃないと。やっぱり、そういう状態では人間を洞察していく力が要るんだろうね。私も、もっと洞察力があったら、もっといい仕事が出来たかもと思うし、もっと滅茶苦茶な状態で、仕事が出来たかもしんないなと思う。

久野:で、結局それが、映画になる。映画2本作ったんだっけ。

武:2本作った※ 。1本は失敗したけど、1本は成功した。それで、藤本賞※もらった。

※「いこかもどろか」(1988年)監督:生野慈朗、出演:明石家さんま、大竹しのぶ。「どっちもどっち」(1990年)監督:生野慈朗、出演:明石家さんま、松田聖子。

※東宝の名プロデューサー藤本真澄の名にちなんで設立された映画賞。武は「いこかもどろか」で1988年藤本賞奨励賞。

久野:でも、よかったでしょ、この仕事やって。

武:面白い、うん。面白い。それから、まだ仕事できるじゃない。仕事しようと思えばね。やりたい仕事を一つか二つに決めて、コツコツ、秋元さんじゃないけど取材して、それで固めていく仕事の仕方があるかなって思ってるんだけどね。<本インタビューは2004年2月7日収録>

武敬子(たけ・けいこ)氏プロフィール

ラジオ、テレビの草創期から一貫してドラマの世界で活躍を続けた数少ない女性プロデューサーの一人。文化人、作家、俳優らとの出会いや付き合いから、独自の嗅覚で「面白さ」を発見、作品に結実していく力に定評があった。

RKB毎日放送から1967年TBS系の制作会社テレパックに移籍して以降は、安定感のあるホームドラマで一時代を築いた。またジャンルにこだわらない俳優の大胆な起用は「男女7人夏物語」など社会的なブームを呼ぶ大ヒットにつながった。

< 略 歴 >
1930年 東京生まれ。青山学院女子専門学校家政科卒業。
1955年 ラジオ九州(現RKB毎日放送)入社。ラジオドラマ、テレビドラマのプロデュースを手掛け、受賞作品多数。
1967年 RKB毎日を退社。制作会社テレパックに入社。
1976年 『三男三女婿一匹』、1981年『野々村病院物語』等の連続ホームドラマをTBS火曜枠で数多くプロデュース。1984年第1回ATP賞個人賞受賞。
1986年 明石家さんま、大竹しのぶ主演の連続ドラマ『男女7人夏物語』を大ヒットさせ、1987年ATP賞グランプリ受賞。
2019年 没

【放送人の会】
一般社団法人「放送人の会」は、NHK、民放、プロダクションなどの枠を超え、番組制作に携わっている人、携わっていた人、放送メディアおよび放送文化に関心をもつ人々が、個人として参加している団体。
「放送人の証言」として先達のインタビューを映像として収録しており、デジタルアーカイブプロジェクトとしての企画を進めている。既に30人の証言をYouTubeにパイロット版としてアップしている。

【調査情報デジタル】
1958年創刊のTBSの情報誌「調査情報」を引き継いだデジタル版(TBSメディア総研が発行)で、テレビ、メディア等に関する多彩な論考と情報を掲載。2024年6月、原則土曜日公開・配信のウィークリーマガジンにリニューアル。