ホームドラマが大ヒット

久野:その後RKBを辞めて東京に行く。

武:安部公房さんに東京来いって言われてたわけ。行って何するんですかって聞いたら、俳優座に入るか、俳優座の養成所の先生になるか、どっちかやれっていうけど、どっちも気が進まない。でも、何か仕事をしなきゃいけない。

久野:それで、秋元松代さんの世話で吉井画廊に入った。

武:そうそう。でも1年いなかったんじゃないかな。

久野:それから、僕が保証人になって、テレパック※へ入った。で、そこでいよいよ、今度は売れる仕事をやりだしたわけだ。

※TBSテレビ系列のテレビドラマを制作するプロダクション。1970年設立。

久野:よく売れたんですよね。

武:売れましたね。もう、なんか知らないけど。いろんな連続ドラマをやりましたよ。火曜の枠※をほとんど任せられてたから。

※TBS火曜夜9時のドラマ枠

久野:「みんなで7人」(1972年~73年)が最初かな。

武:うん、大好きだった。楠田芳子※さんの脚本ね。

※楠田芳子(1924-2013)脚本家、代表作に「氷点(1966)」「北の家族」。夫は映画カメラマンの楠田浩之。兄は木下恵介(映画監督)、木下忠司(作曲家)。

久野:で、「あんたがたどこさ」(1973年~75年)。ああ、これで森繁(久彌・1913-2009)さんと。

武:そうそう、森繁さんと出会うわけ。それと、ここで西田敏行さんとも出会うんだよね。NHKのドラマ(1973年連続テレビ小説「北の家族」)で初めて西田さんを見て、面白いと思って起用して、それ以来ずーっと使いっぱなしに使ったよ、西田さんだけは。

久野:武さん、役者さんを次から次に掘り出すというか、育てるというか。

武:うん。大好きだね。面白いと思う勘っていうのか、そういうものがあって「これいいな」って思うと、やっぱりそれは(いい結果につながる)。

久野:西田さんとか、あるいは山田邦子とか。

武:うん、そうそう。山田邦子なんかは、素人でNHKの昼の演芸みたいなものに出てるのを見て、ちょっと看護婦にしようと思って引っ張り出して※。

※「野々村病院物語」(宇津井健主演の病院ドラマ・1981~83)。山田邦子の俳優デビューとなった

久野:「三男三女婿一匹」※っていうのがある。

※森繁久彌扮する病院長一家のホームドラマ。シリーズ1(1976~77)、2(1978)、3(1979~80)と3シリーズ続いた。

武:うん。それ、西田さんでしょ。

久野:あ、そうか。その前に、高橋玄洋※さんと出会ってるわけだ。

※ 脚本家、代表作「いのちある日を」「判決」「繭子ひとり」など。

武:「三男三女」は個人の病院、病院長の話で、森繁さんを中心に考えていったのね。そのあとの「野々村病院」は、今度は中年でいこうと思って宇津井さんでやったわけ。で、次は若いお医者さんをやろうと思ったら、何となくチャンスがなくなっちゃった。その頃、夏目雅子※(1957-1985)につきあってたんだな。

※夏目は「野々村病院物語」の2シリーズを通して看護師役で出演していた。

武:それで、雅子で連ドラをやろうと思ってたわけ。そしたら、いきなりだったわけね。

久野:病気がね。

武:それで、あたしも1年起き上がれなくて、「えーっ」と思ったっきり。