デビュー当初は「東京乗り入れ」していなかった??

ちなみに「500系のぞみ」というと、デビュー時から東京に乗り入れていたかと思いきや...違ったんですね。当時の原稿には、、、

「JR山陽新幹線の新大阪と博多の間を、世界最高の時速300キロで結ぶ500系のぞみの営業運転が始まりました」

と記されていました。最初は新大阪~博多間の運行だったんですね。この日は、午前7時53分に新大阪を出発し、岡山駅に到着したのは午前8時32分だったようです。

そしてついに真新しい500系が、岡山駅のホームに滑り込んできました【画像②】。

【画像②】500系、ピッカピカです!

天井から吊り下げたくす玉が割られると、中からは「祝 3・22ダイヤ改正『500系のぞみ』」と書かれた垂れ幕が。およそ120人が出席して出発式が行われ、テープカットをして500系のぞみの運転開始を祝いました【画像③④】。

【画像③】
【画像④】なぜか皆さん、500系が視界に入らない位置でテープカット

この出発式で、赤い制服を身にまとった「ミスレールウェイ」の方たちが、関係者の皆さんに花束を渡していました。よく見たらその中の1人は、この10日後にRSK山陽放送にアナウンサーとして入社する、小林章子記者でした【画像⑤】。

その小林章子記者に、当時の興奮冷めやらぬ(?)状況をプレイバックしてもらいました。

【画像⑤】真ん中がこの10日後にRSKに入社する小林章子アナウンサー

(RSK山陽放送 小林章子 記者)
「500系は、まさに『未来ののりもの』という印象で、当時の車両の中でも一際輝く存在でした。そのデビューを祝う式典に参加できたことは大変光栄でした」

「出発式の10日後、この記事の執筆者であり、鉄道が大好きな同期入社のアナウンサー・武田博志さんに500系にいち早く乗車した喜びを伝えた(自慢した)ことを覚えています」

なんか内輪っぽい展開になってきてすみません。筆者は鉄道が好きというよりは、この1か月前まで東海道・山陽新幹線の車内販売をしていたので、「500系の運転席に入ったことがある」という話を聞いてちょっと「ピクッ」となっただけです。