昼のメロドラマはこうして生まれた

大山 それで、昼メロの話。

岡田 昼メロ。本当に瓢箪から駒じゃないけれど、ひょんなことでした。僕が猛烈に忙しくドラマを作っている頃に、フジテレビに食堂があって、時間がない時期でしたから、食事といえば、そこでカレーライスか何かを食うくらいしかなかったんです。

ある時、一緒にテーブルを囲んだ相手が編成の連中だったのです。「太郎ちゃん、面白い企画ないかね」と言われて、その時はこちらはまだ新米でしたから、編成のちょっとお偉いさんじゃないけれども、そのへんの人から言われると、何か答えなければいけない。そういうつもりで、何を答えようかと思って一生懸命焦って考えたのです。焦って考えて「昼間によろめきドラマをやったらどうでしょう」と言ったのです※。

※1957年に三島由紀夫が発表した小説「美徳のよろめき」が婚姻外の恋愛を描いて大ヒットした。以降、「よろめき」は不倫を表す流行語となっていた。

なんでそういう発想になったかというと、僕が文化放送で送り出しをやっていた時に、朝の9時半だったか、9時15分だったか、ラジオで15分の帯ドラマがあったのです。それこそ丹羽文雄とか、伊藤整※の「氾濫」とか、ああいうものをやっていました。

※丹羽文雄(にわ・ふみお<1904~2005>)、 伊藤整(いとう・せい<1905~69>)ともに昭和を代表する作家

そのドラマを毎日15分ずつ、延々やるわけです。その中では不倫を扱ったものが多かったから、僕らの言葉として「おい、よろめきのテープがまだ来てないよ」とか何とか言って、それを勝手に「よろめき」、「よろめきドラマ」と言って使っていたのです。

そんなのがどういうわけか頭をよぎって、それでカレーライスを食べている時に、さしたるあれがあるわけではないけれど言って、そうしたら聞いたほうがやたらまともに反応して「ああ、面白いんじゃないの?」ということになった。

当時は各局とも昼間の時間、12時から1時までは演芸ものや歌とか、あとは普通の教養番組みたいなものを放送していたわけです。そこでこれをちょっと試しにやってみようということになって、あっという間に話が進んでしまって、結局最初の放送は昭和35年の確か7月だったと思います。

大山 原保美さんと。

岡田 池内(淳子)さんの「日日の背信」(にちにちのはいしん)※。

※ 1960年7月4日~9月26日 月曜13:00~13:30放送。原作:丹羽文雄、脚本:浅川清道、演出・プロデューサー:岡田太郎、出演:原保美(1915~97)、池内淳子(1933~2010)ほか。

大山 それは15分のベルトで。

岡田 いえ、30分です。週1本です。当時は何もないわけだから、一応日曜日に一家団欒したら、月曜日に旦那は外へ出て行くし、奥さんは1人でやれやれとなる。そこを狙うといいのではないかと勝手なことを言って、結局、月曜日にやったのです。月曜日の1時~1時半。当時は火、水、木、金、土には無かったのです。最初は月曜日だけ。これがばか当たりしたものだから、では火曜日にやってみようとか、水曜日にやってみようとか。結局、フジの場合は、ドラマで土曜まで全部埋まってしまったのです。かなり後になってから例の帯で、ベルトになって。

大山 今はもうほとんどそうですね。

岡田 そうですね。

大山 あの時は本当に、あの時間帯の番組と岡田さんの手法が話題になりましたね。そういう意味では、放送史に残る番組を作られたことになりますね。

岡田 ええ。

大山 それから、今伺っていると、発想がユニークですね。普通のドラマの専門家が考えるものとちょっと違って、たとえば最初にミステリーをやってみようとか。それから昼メロというのは、それはラジオの経験者ということもありましょうけれども、少し発想が斬新ですね。

岡田 違うかもしれないですね。

大山 それが優れた業績を残されたことにつながっている気もしますね。ドラマ好きな人は「ドラマ馬鹿」と言っては悪いのだけれど、ディテールに非常にこだわったり、昔の原作ものは、原作がお芝居、戯曲だったりして、なかなかそこから抜けきらない。