
いきなりドラマディレクターとしてデビュー
岡田 準備期間といっても大したことはないけれど、こちらは全くの素人だから、はっきり言って脚本家も知らないし、俳優も有名な人は映画を見て知っているけれども、そうでない人はあまり、芝居関係は知らないし。そんなことでどうしていいのか分からなかった。まあ、それは周りの人が「おれが口を利いてやるよ」と言ってくれた。
それで結局しようがないから、どうせこれは実験台としてやって、それで最後になってしまうかも知れないけれど、まあいいやと。友達の弟が劇団をやっていたので、電話して「何か脚本を書いてくれるか?」と聞いたら「やりますよ」と。「僕はわりと推理ものが好きだから、推理っぽいものを書いてくれ」と。それで「午後7時0分」という、いまだにそのタイトルは覚えているけれど、そういう30分の推理劇を作ってもらったのです。この1作が僕のその後の、オーバーに言えば、人生のポイントでした。
それまでいろいろな班がいろいろなドラマをやっていて、われわれの班としては初めてだけれど、それまでの実験ドラマは「母と子のフジテレビ」ということで、ホームドラマっぽいものが多かったわけです。しかし、僕は推理劇で、しかもその頃から好きだった、アップで時計がカチカチカチというところを撮ったりして、結構、込み入った話でやった。
大山 わりとミス無くいったのですか。カメラは3台ですか。
岡田 3台です。ミス無くね。AD(アシスタントディレクター)も一生懸命、それこそパッと時計を変えて、こっちへ持ってくるとか。当時の生ドラマ独特のあれがあって、非常にうまくやってくれた。それから、台詞がそんなに多くないわけです。僕が「はい、3カメ」とか「2カメ」とか、僕は初めての経験なのだけれども、やっている声だけが響いて。
大山 サブ(副調整室)にね。
岡田 ええ。だから後で想像すると、みんな、その雰囲気に飲まれていたのではないかと。スイッチャーがカチッカチッとやるでしょう。みんながシーンとしていて、僕の声だけがあって、それで台詞でこうやってやる。それで、とんでもないすごいものを見たという感じになっちゃったのではないかと、僕は思うんです。それできちんと時間も終わって、「ハァー……」とぐったりして。
そうしたら、部長が呼んでいると言うのです。これは何か叱られるのかと恐る恐る行ったら、中々面白かったよと。「今度は人情ものみたいなものをやれ」と。「ええっ?」と言ったら、「とにかく、ああいうものは分かったから、もっと別な、違うものをやれ」と。「日にちは後でおれが突っ込むから、やってみろ」と。
大山 それは実験ですか。実際の放送でなく?
岡田 実験です。そして、それが終わったら、また、部長が呼んでいると。行ったら、「この番組をやってくれ」と言って、いきなり月曜日の「NEC劇場」 という30分番組の担当を命じられたんです。
大山 ああ、もう決まりでね。
岡田 ええ。「この番組は3月からの放送が決まっている、それをやってくれ」と。「えっ、そんなの…」なんて言ったんだけど、大丈夫だからやれと。「いや、僕はちょっと自信がありません」みたいなことをもぞもぞと言っても「それはみんな同じだから、とにかく大丈夫だよ。このあいだの2本を見たから、やってごらん」と。そう言われて「分かりました」と。結局、ドラマの枠に僕が最初に決まってしまったのです。
大山 あらぁ……。
岡田 だから、ラッキーと言えばラッキーなんだけれど、自分としては、あの何か月かは非常に不思議、不思議の連続で始まってしまった。だから、他局へ見に行って勉強したくらいで自分でドラマを作ってしまうというのは。
大山 運命付けられたとしか言いようがないですね。
岡田 そうとしか思えない。
大山 映画青年ではあったわけですか。
岡田 ええ。観て楽しむだけでね。別に評論的なことは何もないし、ただ面白がって観ているだけだった。それこそ役人の頃はお金がなかったので、何が楽しみというと映画を観ることだ、とは言っていたくらいな感じです。だから、オロオロしているうちに一人前になってしまった。