フジテレビ開局

岡田 それで、昭和32、33年(1957、58年)、文化放送とニッポン放送が一緒にテレビを始めるので、行きたい人は手を挙げろというお誘いがあって、当時は若かったから、新しいものの方が面白そうだというので、手を挙げたら、それじゃあということで。

それでテレビに行くことになって、まずは実習先としてTBSや日本テレビの運行室みたいな所へ行ったのです。

ところが、当時はほとんど生でしょう。だから、運行と言ったって時間が来ればパッと切り替えるだけで、4スタから今度は3スタという案配で、オンとなればボタンを押すだけ。レコードを回すわけでもないし、テープをかけるくらいです。

だから実習に行って、つまらないと思ったわけです。何回も同じ所で見学しても、まったく毎日変わらないから、ちょっと遊びのつもりで他の所を見に行ったんです。そうしたらドラマが面白くてね。とにかくね、生でドラマをやっていたから。照明の上の…

大山 キャットウォーク※。

※ テレビスタジオの照明の上に縦横に走っているスタッフ用通路。スタジオを見おろせる。

岡田 キャットウォークの上から見た日には、まあ、この面白さといったらない。当時は30分番組が多くて、てんやわんやの大騒ぎをやっていて。それを見たら、テレビに来たんだったらこれをやらなきゃ損だという気になって、その時からフジに、ドラマをやりたいとアピールし出したんです。

ところが、お前さんは送り出しの人として来てもらったのだから、それは困ると言われて拒否されたんです。いや、そこを何とかと言って、それこそ村上七郎さん※とか、あのへんの人にしつこく、しつこくお願いしたんです。

※村上七郎(むらかみ・しちろう<1919~2007>)ニッポン放送を経てフジテレビへ移り初代編成部長。テレビ新広島に出向後、1980年にフジ復帰。制作を分離していた鹿内体制を廃止し、制作現場を中心に「オレたちひょうきん族」「北の国から」などヒット作を生みだして視聴率三冠王に導いた。のち関西テレビ社長。

それでもなかなか「うん」と言わないので、これはだめかなと思っていたんだけれど、ちょうど僕が……。くだらない話でいいですか。

大山 どうぞ、どうぞ。

岡田 各局へみんなが実習へ行って、一応区切りがあって、そこでレポートを書けと。感想文みたいなものですよね。自分の習ったことをレポートにして出せと。原稿用紙10枚以上とか何とか言うのです。

ここで一つ、いかにおれがドラマをやりたいかをアピールしなければ損だと思って、一週間の期限があったけれど、ほとんど寝ないで書いて、厚いレポートを出したんです。本当に自分でもよくあんなにエネルギーがあったなと思うんですけど。

そのレポートが、みんな集まってきて積まれていると目立つわけです。何だこれはと。その当時、かの有名な鹿内さん※が来て、何だこれはと目を付けたらしいのです。

※鹿内信隆(しなかい・のぶたか<1911~90>)財界の日経連専務理事からニッポン放送社長。文化放送の社長水野成夫とともにフジテレビを設立。労働組合を認めないなど特異な体制で臨んだ経営者。のちにフジサンケイグループ議長。

あまり厚いのでびっくりしてパラパラと見たら、非常に克明に色々書いてある。これは何者だと。それで、呼べということになったわけです。こんなに力を入れて勉強しているやつがいるとは思わなかったみたいなことらしいんだけれども。

それで呼ばれて、その時にどうなんだと言うから、実はこれこれしかじかでドラマをどうしてもやりたいと。そうすると、ドラマの演出なんて、2、3年やったって出来るものじゃない、これは大変な専門分野なんだと。だからやりたいという情熱は分かるけれど、そう若くもないし、当時30歳になるちょっと前でしたけれども、今からというのは無理じゃないかみたいなことを言われたのです。

いや、私は5年かかろうと、6年かかろうと、アシスタントで結構です、とにかく一生懸命勉強しますから、とにかく潜り込ませてくれと一生懸命アピールしたのです。それでみんなが、しょうがないなということになったらしく、何とか、芸能部と当時は言いましたが、そこに配属が正式に決まりました。

大山 それは何年くらいですか。

岡田 昭和33年(1958年)です。レポート出して、バタバタと配属が決まって、そして芸能部のメンバーが決まって、みんなほとんどベテランというか、ラジオドラマをやったり、ラジオで音楽番組やクイズ番組をやっていた、そういう制作の経験者が来て、僕1人だけ異色で、芸能部に入った。

ところがスタジオの工事が非常に遅れていて、確か34年1月だったですが、ようやく完成して普通に使えるようになった。それで事前に試験放送をやらなければいけないのだけれど、その段階では、みんなまだ何もやったことがない。

そこで、いろいろと実験じゃないけれど、5つの班に分けられて、音楽の人は音楽、ドラマの人はドラマのテストをやったのです。要するに電波を出さないで、スタジオの中だけでやってみる。1カメだ、2カメだということもやったことがないわけだから、それをみんなで総見するという演習実験があったわけです。

その時にたまたまの割り当てで、最初にうちの班でドラマをやることになって、誰かやんない?となったわけです。ベテランがおおぜいいるのだけれど、やはり何となく最初にやるのが、ほら。「はいはい、私」とは言わないじゃないですか。

その時は円座になっていて、僕が班長の正面に座っていたら、「君、やれよ」と。「僕はとんでもないです」と言って断ったけれど「それはみんな同じだよ。誰もやったことないのだから。君、やってみろよ」と。そうしたら、みんなが「やれ、やれ」みたいになって。それで何となく。「ええっ?そうですか」みたいな。