23歳ごろからカラフルでパワーのある作風を確立

――宏介さんが絵を描き始めた経緯や、ここまで長く続けてこられた理由を教えてください。

2歳のときに自閉スペクトラム症と診断されて、 絵と出会ったのは10歳の頃。それまでは30秒たりともじっとすることができなかったですし、ピョンピョンと跳ねて奇声を上げたり、近所迷惑もすごくて…。でもなぜか紙粘土で遊ぶときだけはじっとしていられたんです。その様子を見た母が手先が器用だということに気がついて、陶芸を教えてくれるイメージで近くにあった造形教室へ連れて行ったところ、そこが実は絵画教室だったんです。初めて連れて行ったときは、画用紙に全く興味を示さなかったのですが、先生が白い紙粘土を宏介に与えて遊ばせて。1週間後、乾いたその作品に色を塗ることになり、そこで色と色が重なると色が変化することにはまったみたいです。

――今の作風になったのはいつ頃ですか?

初めは水彩画だったのですが、21歳ぐらいから耐久性のあるアクリル絵の具に変わっていきました。最初は色を上に重ねて塗っていくアクリル絵の具に慣れなくて、2年ぐらいかかったと思います。水彩画は一発で塗ることができますが、上から色を塗り重ねると滲んでしまったりすることもあるので、背景に色を入れることができなくて、初期の頃の作品は白い背景のまま。今のアクリル画のほうがカラフルですし、ちょっと厚みがあって、宏介の味が出ているなと感じます。今回のライオンの絵も上から何度も塗り直しています。

1話で登場したライオンの絵画

お互いできないことを補う関係

――共同事業をきょうだいで行われているなかで、それぞれどんな役割分担をしていますか?

僕は全く絵を描けないですし、宏介はいい絵を描いてもプロデュースする人がいなければ成り立たないので、そこははっきりと役割分担しています。僕はプロデュースはしますが、作品について口を出すことはありません。きょうだいだからこそできることもあるのかなと。宏介が描いた作品を多くの人に伝えたいという想い、愛情というのは、兄である僕が一番強いと思うので。

――ここまでの道のりで特に困難だったことはありますか?

ドラマでも描かれていますが、自閉スペクトラム症の人は特定の行動に対するこだわりがあるんです。東京に来たときも「なんでこんなことでぐじぐじ言うかな」みたいなことがありまして…。それこそ昨年、台湾で個展をしたときに、普段と環境がガラッと変わってしまったこともあって宏介が思い通りに動けないことがあったんです。それと宏介には洗濯をするという毎日のルールがあるので、自分の下着だけのためにホテルのコインランドリーを使うんです。タオルなどは交換をしてもらえるので、それだけのためにもったいないよと指摘することもありますが、最終的には好きなようにしてもらっています。