東京での複数のマラソンが競技人生を左右
西山は“東京”で行われた複数のマラソンが、競技人生の節目になってきた。
19年MGC(マラソン・グランドチャンピオンシップ。東京五輪代表3枠のうち2人が決定)の結果が、競技に取り組む姿勢を改めるきっかけになった。東京五輪代表を決めた2人が身近な選手だったのだ。
優勝した中村匠吾(32、富士通)は伊賀白鳳高と駒大を通じての先輩で、2位の服部勇馬(30、トヨタ自動車)は同じチームの1期先輩。
「身近にいる人が高いレベルでやっているのに、自分はなんて低いんだろう、と思いました。周りの高いレベルの人から学んだり、聞いたりして試行錯誤しました。練習前の準備、練習後のケアを入念に行うなどして、質の高い練習を継続してできるようになりました」
22年2月の別大マラソンが初マラソンで、2時間07分47秒で優勝し、同年7月の世界陸上オレゴン代表入りを決めた。オレゴンでは前述のように2時間08分35秒の13位。西山本人は「31kmでレースが動いたときに対処できなかった。それが本当に悔しい」と納得していないが、客観的に見れば健闘だった。
帰国後の東京レガシーハーフマラソンは“確認”が目的で出場したが、翌23年のMGCは、競技人生の最大目標としていたパリ五輪代表入りがかかった大一番。だが西山は25km付近から大きくペースダウンし、2時間17分49秒で46位と大敗した。練習は「オレゴン前よりアップデート」できたが、結果との隔たりの大きさに「分析しても意味がない」と深くは振り返ろうとしなかった。
そして今年3月の東京マラソンに出場。MGCファイナルチャレンジの男子最終レースで、2時間05分50秒以内で日本人1位なら、パリ五輪代表最後の1枠に入ることができた。しかし、日本人1位と力は出したが、2時間06分31秒で代表に41秒届かなかった。
「最後の1枠は自分のものだと思って練習してきました。パリ五輪を最大の目標にして、すべてをここに懸ける思いでやってきたので、今後どうするのか、まったく考えていません」
しばらくは何も考えられない状態が続いたが、落ち着いてくるにつれ「もう一度世界の舞台で走りたい」と考えるようになった。
「(来年の)東京世界陸上も世界一を決める大会ですし、オレゴンの悔しさもあるので、リベンジとして挑戦するには打ってつけです。パリではできませんでしたが、東京なら走っている姿を家族に直接見せられます」
西山にとって“東京”が、前に進むキーワードになった。
トレーニングのアップデートを重ねる選手
今年の東京マラソンのレース後に、「4回目のマラソンでつねに練習をアップデートしてきましたが、一番良い状態でスタートラインに立てました」と西山はコメントしていた。
初マラソンも見切り発車ではなく、「トラックの10000mで27分台を出してから」と、スピードのベースをしっかりさせてから進出した。27歳になっていた。2回目の世界陸上オレゴンも「練習でやるべきことをしっかりやってこられたと思います。ほぼパーフェクト。練習でも最後の落ち込みとかもなく、今までにない準備ができました」と、納得の練習で臨むことができた。3回目のMGCは、オレゴンから1年3カ月マラソンを走らずトレーニングを優先した。万全の準備をしたはずだったが、マラソンで唯一大失敗と言える結果に終わった。
「気持ちの面で入れ込みすぎていたかもしれません。練習自体も詰め込みすぎていた。色々な要素があるので特定はできませんが」
結果につながる練習にはならなかったが、オレゴンの時より一歩進めた内容に取り組めた。それをさらにアップデートさせて、東京マラソンで2時間06分31秒まで持ってきた。
そのタイムと日本人1位を取ったことで、JMCシリーズのポイント争いではシリーズⅣ(23年4月~25年3月)の優勝争いができる位置にいる。世界陸上標準記録(2時間06分30秒)を突破するか、基準世界ランキング(世界陸連が作成する1カ国3名の標準記録突破者と世界ランキング上位者のリスト)で出場資格を得れば、シリーズⅣの優勝者は東京世界陸上代表に決定する。パリ五輪代表入りに失敗した東京マラソンだが、その結果が東京世界陸上代表選考でプラスに働くことになった。
「東京マラソンに向けての練習は質も量も全体的に上がっていて、その中でも(負荷の高い練習の間に行う)ジョグを工夫して、体がどう反応するかなど、自分の体と相談してやることができたんです。次のマラソンに向けても、ベースを一段階上げようとやっています。やったことのないペースの練習も行いました。負荷も高くなりましたが、さらにジョグを工夫しています」
5回目のマラソンに向けても、西山の練習はしっかりとアップデートされている。西山のアップデートはいつか、マラソンでの大きな飛躍となって表れそうだ。
(TEXT by 寺田辰朗 /フリーライター)